LUZの熊野古道案内

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2006年 05月 13日

熊野の旅 熊野古道の脇道 紀和町 丸山千枚田 5

 前回は棚田に残された『巨岩』について書きました。
 このように巨岩は残されましたが、それ以外の岩はどうなったのでしょうか?
 半分を切り崩し、半分は埋め立てると言う技法は今の宅地造成と同じことです。それをブルドーザーでやらないで人力でやったのです。ダンプカーの代わりに『もっこ』を担いだのです。これはほんの少し前まで日本の土木では行われていましたし、北朝鮮などでは今でもやられているようです。人件費が安く、人手を集められれば意外と早い作業方法です。
 埋め立ての深さも深いですから中くらいの岩はその下に埋め込まれているはずです。そして、造成した田圃の岸は全て石垣を積まなくてはなりません。その膨大な量の石はそこから出た石です。
 天まで届くほどの棚田を作ると言うことは天まで届くような石垣を積むと言うことです。その石垣はコンクリート用壁でもきちんとしたケンチ石でもなく、色んな形の割り石、自然石です。
 こうした乱積みの石垣ですが実にきっちり積まれていて、田圃のとこが抜けて水が大量に流れ込まない限り、膨れてきたり崩れたりはしません。実にしっかりしたものです。
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 写真のように小さな石を延々と積み上げて石垣を築いています。ところどころには割れなかった大きな岩をそのまま使ったところもありますが、基本的にはこうした石垣です。
 丸山千枚田だけではなく、この紀州一体ではこのような石額が実に多く見られます。
 多雨、豪雨に耐える石垣を積む技術が編み出され伝承されてきたのですが、最早、熊野市で石垣を積む『石屋』は居なくなりました。土方が積む石垣だけになりましたから、コンクリートで固めないと積めませんし、昔の石垣より明らかに弱いものです。
 全国からこうした技が消えてゆくのは時代とは言え惜しいことです。

カメラは コダック メダリスト

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by je2luz | 2006-05-13 10:48 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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