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LUZの熊野古道案内

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2006年 05月 12日

熊野の旅 熊野古道の脇道 紀和町 丸山千枚田 4

 丸山千枚田は急斜面に作られています。急斜面を開墾して山の天辺まで段々畑にしてあったのは昔の日本にはあちこちに見られました。今のように物流の発達していない時、地区と近隣の食糧を生産するため、ことに平地や水のあるところは田圃になり貴重な米を植えなければならず、その他の畑作は山の斜面に追いやられていたからです。畑にしてあると言うことは水田に出来ないからです。
 丸山地区でも地形の関係で飛び飛びに水が引けなくて畑にしてあるところもあります。その区画はほんの少しです。見事に斜面を巻くように田圃を作り、上から下へ水が回るように設計されています。
 この斜面が決して土で出来た斜面でなかったのはどうしようもない巨岩がぽつぽつとそのまま残されていることや、水源の谷の状態などで推測できると思います。
 多雨地帯というより豪雨地帯の紀州山地では肥沃な土で出来た山など存在できません。そんな土の山なら何万年も前に崩れ去っています。

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 このような巨岩が単独であるわけではありませんね。
 岩だらけの斜面であったはずです。この岩など家1軒分はゆうにあります。せり出した岩の陰を小屋代わりにして、『なる』を保管してあります。
 『なる』とは『さがり』の横棒のことです。『さがり』とは『はざ』とよそでは呼ばれる稲を乾燥させるものです。材料は近隣の山の間伐材で足場丸太のようなものです。孟宗竹を使う事もありますが滑って具合の悪いものです。
カメラは コダック メダリスト

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by je2luz | 2006-05-12 11:13 | 熊野


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