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LUZの熊野古道案内

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2006年 05月 10日

熊野の旅 熊野古道の脇道 紀和町 丸山千枚田 2

 枯れ沢のような谷のことを書きましたが、その巨岩に覆われた谷の水を頼りに棚田は成り立っています。
 棚田と言うのは急傾斜の山の斜面に作られるものです。これは日本各地でも中国の奥地などでも見られる風景です。
 稲作は川のそばの平坦な沼地のようなところから始まって、人工で田を作り水路を作って水を引いたのです。
 水は高いところから低いところに流れます。サイフォンを使わない限りコブは乗り越えられません。つまり、一番高い田より高いところに水源が無ければならないのです。当たり前のことですが大変なことなのです。
 棚田のように斜面に開いたものはその水源の確保が特に大変です。川よりはるかに高いとこの荷水田を作るのですからね。
 江戸時代、物によってはそれより古くから開発が始まったようです。
 今のような測量の機械が無い時代に水平測量を必要とする水路を設計、施工してきたのです。『水もり』という技術は古くからあったようですが、土木技術集団が居なくては水田は開けないものです。
 丸山棚田の水源もこうした谷から取水し、一番上の田に引いてゆきます。そこから先は上から順に下の田へ下の田へと水を送ってゆきます。一滴の水も無駄にしないようにしてあります。今の『圃場整備』のように余った水を全部捨てると言うような排水路はありません。上の田から流れ出した養分を含んだ水は下の他の稲が吸収します。水の徹底的な利用は肥料の徹底的な利用でもあったのです。生活の知恵です。
 今の水田整備が『一度使った水は捨てる』と言う間違ったと思える、若しくは思い上がった思想の元で行われています。そのため、琵琶湖をはじめ湖沼、河川に余分な栄養分が流れ出て汚染が進んだことは意外と知られていませんね。
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       拡大画面
 石積みの水路が急斜面を伝って千枚だの方に向かってゆきます。平地に比べ水路は意外と短いのですが厳しいところを通ります。
 セメントの無い時代に底面も切り石を使って堅牢に作りました。つなぎは粘土を練って叩いて固めました。毎年補修をしながら使いますが下手なコンクリートより水漏れは少なかったものです。しかし、こうした石造りの水路も段々とU字溝に取って代わられています。味気の無い話ですがご時世でしょうね。
 カメラは英国の名機
エンサイン セルフィックス820

by je2luz | 2006-05-10 13:04 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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