LUZの熊野古道案内

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2006年 04月 28日

熊野の旅 紀州御影

 熊野を訪れると山間部などはやたらrと石垣で囲った家が目に付くと思います。
 平野部では防風林用の林とかきれいな生垣に囲まれた家が多いのですが、この辺ではそうした家は少ないのです。又、熊野古道も自然石の石畳が見られます。
 石垣は木本町の辺りの砂岩を積んだもの以外は、切石でも自然石でも紀州御影です。この一体の山は紀州御影で出来ているからです。おまけに固くて風化しにくく石垣に向くからでしょう。
 この紀州御影は切り出されて地元はもちろん関西方面に出荷されていました。
 私が子供の頃は、まだ大型機械が無かったので土の中にある大きな丸石を割っていましたが、機械が大型になり、エアー削岩機が導入されると山全体が御影石と言う石山に手を付ける様になりました。搬出は船であったり鉄道であったりしたのです。
 石山は熊野市内でも大泊町と新鹿町に集中していました。『いました』と書いたのは最早石切、石割は熊野市内で事実上行われていないからです。
 紀州御影は固いので石垣には向くのですが、その材質から、固くて鋸で切り出せるものではなく、四角い石材を作るのは苦手です。結晶が荒くて墓石にも向きにくいので四角く切る石材店はありませんでした。地元の犬走りの縁石には加工していたようですが・・・
 作るものは四角錐の『けんち石』です。コンクリート製のものが道路わきの石垣などに使われていますが、あの形を石工はゲンノウ(ハンマー)一丁で作り出すのです。
 石には目があり、それの通りに割れば力はいらない・・・とはいわれますが、決められた大きさに作らなくてはならないので当然、不良品と端材の山を築きます。この『ガラ』が谷を埋め危険な状態の時代もありました。そしてこれの砕けたものが新鹿海岸などの白砂を作っているのです。
 今では石切り場も廃墟となり、谷には砂防が作られ、谷がきれいな緑に覆われていますが砂の流下は減っているのだと思います。100年後の新鹿海岸はどうなっているのでしょうか?
 今でも。石切り場のそばには、二級品の石材が野積みされています。
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by je2luz | 2006-04-28 10:35 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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