LUZの熊野古道案内

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2006年 04月 18日

熊野の旅 栄枯彗星・・・紀州御影

 所用があって市内新鹿町から八丁阪を越えて飛鳥町に抜けて走りました。
 新鹿町は新鹿海水浴場を抱えるきれいな海岸の町です。
 この新鹿海水浴場の白い砂浜を養ってきたのは背後にある龍門山や八丁峠など紀州御影で出来た山々です。
 こうした山では古くから石材切り出しが行われました。
 硬く丈夫な紀州御影は石垣の材料として使われ関西、中京方面に出荷されていました。古くは船で、そして国鉄の貨車でそしてトラックで運ばれてゆきました。
 新鹿の町は古くから全国から集まってくる石工が入り込み栄えたところのようです。その分、ばくちが盛んで戦後すぐ位までは『雨が降ると田圃の持ち主が変わる』などといわれるような賭け碁、掛け将棋、花札などが行われていたそうです。
 子の周辺には石を切り出した山があちこちにありますが、切り出しが廃れた頃はまだ今のような機械になる前なので山が消えると言うようなものすごいものではありません。しかし、小さなブル程度でここまで切り取ったのは大変だったと思われる壁が残されています。もちろん、石山には事故がつき物の時代のものです。
 子の現場も閉鎖されて20年を越えると思います。立ち入り禁止のロープが一本惹かれています。紀州御影は中々風化されることのない石ですが何時崩れてもおかしくないような絶壁です。落ちてくれば数百キロ数トンというものですから危険を通り越しています。掘り起こすことも難しいものですから、崖の下には近づかないでください。近づかないと迫力のある写真は取れないのですが、東南海地震の震源地のすぐそばですから・・・
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 こうしたい仕切りは道路の悪さから新鹿方面は放棄され中心は尾鷲市賀田に移ってく来ました。そちらには立派な港があり大量輸送にも耐えられるからです。しかし。そちらも石工の日当の高さや白蝋病の関係で下火になってきています。東南アジアからの石材輸入が増えています。
 カメラは第二次世界大戦の前のドイツで作られたものです。
フォクトレンダー・ベッサー・スコパー105mm

by je2luz | 2006-04-18 10:11 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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