LUZの熊野古道案内

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2006年 04月 13日

熊野の旅 熊野の郷土史は・・・

 最近配られてきた熊野熊野古道と木本町に関する観光パンフレットを見て改めて思ったのですが、この辺りには元々面白そうな伝承も郷土史もあまり無いようなのですが、その少ない中でのひとつに、『鬼ヶ城』にまつわる伝承があります。
 例によって全国にある『坂上田村麻呂による鬼退治』の話です。
 地元のパンフレットでは町内の笛吹橋という橋の名の由来のところに・・・

 約千年前、鬼ヶ城に多蛾丸(たがまる)と言う悪党の大将がいました。命令を受けた征夷大将軍坂上田村麻呂がその大将を退治して、部下と共に笛を吹きながらこの橋を渡ったいわれから、『笛吹橋』の名が付きました。

 と、あります。(余談ですがこの橋のたもとが木本町一番地になっています。)
 これに出てくる『悪党』は昔の言葉で「野武士」「海賊」「山賊」「夜盗」はもちろん地方に乱立する豪族までを含め大和朝廷と時の政権に逆らう集団を指した言葉をそのまま使っているものだと思いますが、ここはその『悪党、多蛾丸』の本拠地です。一般人向けのパンフレットで悪党を括弧書きするでもなし、注釈をつけるでもなしで書けば『悪人』と同列に見えてしまうでしょう。
 古い歴史は日本書紀、大鏡などでも朝廷による官製のものです。中央から見た歴史観は今の時代以上に地方の立場との差が大きかったはずです。
 熊野市だけではなく日本全国のパンフレットの類で共通するのはこうした中央の歴史観に基づく記述がそのまま郷土の歴史として、何の疑いも無く書かれていることが多いですね。
 郷土史を郷土の民衆の目で見て書いたら如何なのでしょうね。
 『多蛾丸』さんははたして悪い親方だったのでしょうか?こんな平地が少なく都からも遠い辺地で漁業をしながらたまに通る船からミカジメ料を巻き上げて皆を食べさせてくれる、強くて頼もしい親方様だったと思うのですが・・・
 その親方様を征夷大将軍だとか名乗る一群がやってきて殺してしまい、美しい娘(いたかどうか分かりませんが)は自分たちのものにして・・・面白かったはずは無いのです。
 ああ、それなのにそれなのに・・・
 平和な国民性でしょうかね。おかげで日本は平和なのですが・・・良い意味でも悪い意味でも・・・
 そういう視点で郷土史を書き直したら国がばらばらになるかもしれませんね。
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 『多蛾丸親方』の根城だったと言われる『鬼ヶ城』です。台風の時にはここまで波が来ますから住んだと言うことは無いでしょうね。この上の山は見張り場所にしたのは間違いないでしょうが・・・
カメラは バルダ・バルディックス/エナゴン75mm

by je2luz | 2006-04-13 11:04 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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