LUZの熊野古道案内

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2006年 03月 26日

熊野の旅 この半世紀の熊野の開発計画 10

 七里御浜の浸食は確実に進んでいます。
 熊野川が押し出した石は黒潮の枝分かれした潮流に乗って南から北へ流されてきます。その間に波にもまれてきれいな丸い砂利になります。この辺りの土地が陸地になって以来この営みは一瞬も休まずに繰り返されてきました。
 鬼ヶ城や獅子岩は海中から隆起してきたものですが、隆起する前の海岸線の砂利浜らしき砂利の層ははるか山の方まで続いています。この辺りの海岸の平らな土地は熊野川の土砂を波が運んでできた浜でできているのです。
 普通は波で海岸線は削り取られるものですが、土砂の供給が続けばこうして波が陸地を作ることもあるのです。九十九里浜なども同じようにして生まれたものです。
 ダムが出来て40年ほどの間にこの海岸線は徐々にやせ始め、近年では加速度的に浸食速度が上がってきています。
 人間の手で自然をいじって始まった異変ですが、人間の手で止めることは難しいです。ダムを壊して洪水を覚悟しても回復には半世紀も余って掛かるでしょう。小さな川の砂防ダムなども止めないと自然は戻りません。これは事実上不可能です。
 唯一つ人間の力で浸食を少なくする方法は、沖合いに人口岩礁を作ることです。以前に書いた『潜堤』と言うものです。
 水槽実験の結果この熊野灘でも施工可能だと言うことでこの10年ほど少しずつ工事はされています。それでも設計の何分の一とかのレベルまでも行きません。
 今年も基礎工事用の巨大ポットの投入が始まりました。海の静かな冬から春先しか工事が出来ないのです。
 去年までで岸よりの列を投入し終わったようで、今年は沖のほうに投入しています。この潜堤の奥行きと言うか幅と言うか沖に向かう長さは200mにも達します。これは駆け落ちの激しい木本海岸で水面下2mまでの台形の建造物を積み上げて波に耐えるのに必要な大きさなのです。愛知県の常滑で行ったものの4倍くらいの大きさだと思います。常滑方面のはここの水槽実験のデータを元に計算しなおしたものだそうです。つまり、熊野灘、木本海岸に耐えられるのが分かれば他はどこでも通用すると言うことです。
 今は浜に出る出口から大きな台船が作業している様子が見えます。
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 堤防に書かれた文字は、8月17日に行われる『熊野大花火大会』の桟敷の場所取りに以前かかれたものです。昔はこんなことを書かなくても場所割りは決まっていましたし、又、近年は間口を決めて管理者の土木の認可を毎年受けることになり、この文字も無効です。

by je2luz | 2006-03-26 12:05 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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