LUZの熊野古道案内

je2luz.exblog.jp
ブログトップ
2006年 03月 25日

熊野の旅 平成の大合併・・・幕藩時代

 以前から三重県でも南牟婁郡から北牟婁郡はJRの駅名に残るように紀伊の国です。お隣の和歌山県と同じ国だったわけです。
 御三家だけに紀州はやたらと広いですね。しかし、昔の国わけは人間の足で行き来しよい範囲で分けたものが多かったようです。平野部はそうも行かないのですが地形が険しくなるとその傾向があります。
 明治の時の廃藩置県と県の調整で熊野川を境に紀州の一部が伊勢の方に編入されました。
 しかし、何百年もの間の交流と地形との影響で切り離されて100年を越えても、食生活、言葉、親戚関係などはまだまだ紀州・新宮方面とのつながりが強いのです。
 今回の合併で熊野市に入ってきた『紀和町』でも。『筏流し』の時代から下流の新宮との付き合いが濃いかったので、役所の入札指名業者は新宮市の法が多いくらいでした。近年道路が改良されて時間的には熊野市のほうが近いのですが、習慣上そうなっていました。合併により熊野市側のルールが適用されて徐々に新宮の業者は減ってゆくでしょうね。
 もし、南牟婁郡が和歌山県だったら、合併の構図は全く変わっていたでしょうね。
 日ごろの付き合い、職場、買い物などが新宮になっている鵜殿、紀宝、紀和は間違いまく新宮市編入を望むでしょうね。至極当たり前の話です。
 長野と岐阜の間では領地のやり取りがあったようですが中々住民の意向など通りませんからね。飛び地の和歌山県東牟婁郡北山村のようなところが熊野市と合併するようなことなら、多分和歌山県もOKを出すでしょう。しかし、県の南部が三行半を突きつけたのでは三重県はうんと言わないでしょうね。
 今言われる平成の第二次大合併でもっと広域化しろ言われて尾鷲市や紀北町と一緒になるなら熊野市までは新宮と一緒になる方が自然なのですが・・・
 そうなると、ここにある『三重県紀南県民局』なるお代官所は和歌山県に譲渡されるのですね。もっとも、大合併すればこんな郡事務所は要らないのですよね。ここの職員数200名あまり・・・合理化は出来ますが熊野の人口は200人あまりの純減になります。
 田舎では公務員の合理化削減がそのまま過疎の加速になると言う大変な状態なのです。
d0045383_1303178.jpg

 南牟婁郡御浜町・・・紀伊市木駅
 三重県側でも県境から70Kmほど先の紀伊長島駅までこのように『紀伊』が付くものが多いのです。
 カメラは バルダ・バルディックス
熊野三山と熊野の地図へ   ←←←←をクリックすると案内図が開きます。

by je2luz | 2006-03-25 13:06 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : https://je2luz.exblog.jp/tb/2875259
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]


<< 熊野の旅 この半世紀の熊野の開...      熊野の旅 平成の大合併・・・御... >>