LUZの熊野古道案内

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2006年 03月 16日

熊野の旅 この半世紀の熊野の開発計画 9

 昭和40年代の『レジャー時代到来』とか『列島改造』とかの掛け声が起きる頃には、手付かずの処女地の『紀伊半島』に大資本の触手が動きました。
 紀伊半島は東の付け根が名古屋、西の付け根が大阪と言う、一見すばらしいところにあるのです。地形が険しく、道のりが遠いだけです。
 熊野市の場合。名古屋から210Kmほど大阪からは鉄路なら串本回りで250Kmくらいでしょうか。道路は伯母峰越えで当時は素人では通れないものでした。
 景色には恵まれていますが『陸の孤島』などという呼び方があったところでした。それでも、紀伊半島の付け根の辺りに基板があり覇権を争っていた私鉄二社が手を出してきました。
 『近畿日本鉄道』と『南海電鉄』でした。
 この二社は紀伊半島に足がかりを作るために色んな形で入ってきました。
 これも熊野市について言えば、この小さな町でタクシーなど数台しかないところに地元の「木本タクシー」を買収した『近鉄タクシー』と「双葉タクシー」を買収した南海系『熊野タクシー』が出来たのです。当然、きちんと制服と某市を着用した運転手になりました。
 さらに南海電鉄は同系列の百貨店『高島屋』の子会社を使って熊野市と尾鷲市に大きな観光ホテルを建てました。熊野『オレンジホテル』と尾鷲『サンポートホテル』でした。過去形なのは両方共に採算に合うことなく閉鎖され取り壊されています。これに対抗した近鉄は立地の悪い場所の巨大ホテルではなく、名勝「鬼ヶ城」と「大泊海水浴場」を望む国道42号線沿いの小高い岬に食堂と宿泊所を供えた小ぶりの『近鉄ロッジ』をオープンさせました。これも、採算が合うことなく閉鎖されました。こちらの建物の一部は今でも廃墟化しつつ立っています。松本峠から鬼ヶ城に向かうところにある公衆トイレのそばの高台のがそれです。一番目に付くのは火事の後のパチンコ屋の廃墟ですが・・・観光立市と言いつつ観光スポットに廃墟が並んでいます。これも、熊野らしいということでしょうか。
 こうした関西二大私鉄による足場作り合戦も紀伊半島一円でありましたがすべて失敗に終わっています。その当時にはまだ無かった言葉ですが『民活』の走りになるはずでしたが・・・
 近鉄ロッジからは鬼ヶ城と共にこの浜が見えていました。
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カメラは エンサイン・セルフィックス16-20/ロスエクスプレス

by je2luz | 2006-03-16 12:42 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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