LUZの熊野古道案内

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2006年 03月 15日

熊野の旅 この半世紀の熊野の開発計画 8

 この半世紀の中で一番大きな『開発計画』は『第一次熊野市総合計画』だと思います。
 この計画は田中角栄首相による列島改造論に乗っかって作られたものです。したがって、派手で奇想天外ともいえる夢一杯?のものです。
 観光立市を目指すのはまあ分かるのですが、この一体を遊園地のようにしようと言うわけで、獅子岩から歩かないで鬼ヶ城に行けるように七里御浜にケーブルを走らせる、鬼ヶ城から磯崎の猪鼻灯台(いのはな)までも同様に海越えのケーブルを掛ける・・・・など、スポット間はケーブルやリフトで結ぶと言うので銃数本の線が惹かれていました。とてもじゃないが恥ずかしくて見せられるものではありません。当然のように夢のようなリゾートホテルなども配置されていました。
 この『第一次熊野市総合計画』はほとんど何も実効に移されること無く期限が切れてしまいました。そして、目標の人口増は逆に大幅な人口減に陥りました。
 しかし、この計画を笑えない『総合計画』が全国の市町村で作られたのです。ほとんどのところの計画書は『有識者』『学識経験者』『団体代表者』などによる審議会・委員会で寝られたと言う建前の下、『コンサルタント会社』によって書かれた作文だったのです。まともに調査することも無く、『○○町』とあるところを『△△市』に直すだけでお茶を濁すものが多かったようです。
 この時代から自治体や補助事業の計画には『コンサルタント会社』の作った計画書を添えなくてはならないと言う変な方式?が生まれたのです。これも政治家ぐるみ、天下り企業の図式が生んだものでしょう。私は彼らの書く企画書、報告書を『金表紙』と呼びますが製本はそう呼ぶに値する立派なものです。
 かくして巨費を投じて作られた計画書と青写真は実現しませんでした。
 しかし、これは実現しなくて良かった計画でもあります。
 原発と言い総合計画と言いろくな計画が無かったような気がします。
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 この浜辺に無粋な支柱を立ててケーブルカーを走らせようと考えたコンサルタントが居たのです。景観は壊すし、防波堤をも越す台風の荒波をどうしてかわすのでしょうね。東名由比のように浜を消してしまえしか不可能ですね。

by je2luz | 2006-03-15 10:53 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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