LUZの熊野古道案内

je2luz.exblog.jp
ブログトップ
2006年 03月 14日

熊野の旅 この半世紀の熊野の開発計画 7

 このテーマについて書くのは久しぶりです。
 先日『原子力発電立地断念』という記事が新聞に出ていました。
 この紀伊半島は全域過疎地です。今に始まったことではなく、もともと平地も無く人口密度は低いところでした。そこに過疎の波が押し寄せただけで、戦後昭和40年当時でも紀伊半島の人間が全部死んでも20万人ほどでした。こうしたところが原発の予定地になりました。その中で消えているのは『熊野市・井内浦(いちうら)』だけなのです。
 半世紀ほど前にこの熊野市も原発予定地に加えられました。当然漁民を中心に激しい反対運動がおきました。しかし、建設当事者の中部電力の工作はものすごいものでした。
 『原子力発電所を見学したい』と電話一本すれば係りが飛んできて『原子力発電所見学と○○温泉ノ旅』を手配してくれました。もちろんお土産付無料ご招待です。当時の熊野市の人口は三万人ほどです。このご招待に与ったのは人口の一割なんて生易しい数字ではないようです。中小企業や町内会の慰安旅行はこれに便乗するのが常識の時代もあったのです。これ負だけの金をばら撒いてでも田舎に作りたいものなのです。
 今でも和歌山県日置川の予定地などはまだ生きています。
 『原発絶対反対』などの看板は風化してしまっていますが立地はどっこい生きているのです。熊野が昭和62年ごろにやったように議会の圧力で市長が公式に立地拒否を宣言し、中部電力に正式に拒否を伝え工作員の引き上げをも申し入れる、などということはほとんど出来ないのです。それというのも立地すれば市民会館・図書館・文化会館・体育館・野球場・・・なんでもどんどん作る金が出る打ち出の小槌ですから首長さん方は中々あきらめないのです。葺き意見などに行くとそうした箱物はど田舎でもすばらしいものがありますからね。維持すら出来なくなって時限立法に延長やら原子炉の増設で生き延びていますがね。
 しかし、これがうらやましい人も居るものです。旧紀伊長島町の一部築の人が『紀伊長島に原発を・・・』という運動を始めたことがあります。さすがにこれは消えてゆきましたが、原発が来れば漁師なんか辞めても楽に食えるなんて幻想にとらわれたようです。
 何も無くて自然が残っていることだけが取り得の紀州路には原発は要りませんね。
 清流と海岸線を犠牲にして自分たちでは一割も使わない電気を水力で作って阪神・中京地区に送り続けているのですからね。
d0045383_12245578.jpg


by je2luz | 2006-03-14 12:25 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : https://je2luz.exblog.jp/tb/2824702
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]


<< 熊野の旅 この半世紀の熊野の開...      熊野の旅 高速道路一部供用開始 >>