可燃ごみの処理方法には色々あります。
日本でもかつては多くやられていたのが「埋め立て」です。
東京など江戸時代からやられいて、最後は「夢の島」でしたね。
瓦礫の埋め立てでも地盤が悪いのに可燃ごみでは…
悪臭は出るし、ハエが湧くし…
東京湾周辺では住居なんか出来ない状態でした。
そして、次に広がったのが「焼却炉」です。
今度は「匂い」が問題になっただけではなく「ダイオキシン」なんて史上最強の毒が巻き散らかされると問題になりました。
そして。イオン吸着・バグフィルター・高温償却・シャワー洗浄などの公害対策が開発され、ゴミの発熱を利用しようと「ごみ発電」も出てきました。
ゴミを直に燃やす発電が実用化されてきましたが。コントロールと公害対策の観点から、24時間温度を落とさない「連続炉」でないと具合が悪かったです。
熊野市が焼却炉を作る頃には「環境問題」が社会の興味を引いていました。
その当時に厚生省は「連続路を作れ」と言い出したのですが、こんな田舎だと熊野市単独どころか南郡を合わせても24時間燃やすだけのゴミがありません。
そして、その頃に開発された方法に「廃棄物固形燃料化・RDF・Refuse Devided Fuel」というのがあります。
生ゴミを含む可燃ごみを乾燥圧縮して、ペレットを作り、それを燃料として発電する「ゴミ発電所」を作ろうというものです。
「夢の技術」とも呼ばれました。
ゴミが圧縮され運搬も楽になる、できるペレットは均質化されるので発電ボイラー効率が良くなる、どうせ燃やすなら電気を作ろう・・・
良いアイディアですね。
ちょうど新しい炉を考える時なので、新しいものに飛びつきたかったのですが、熊野のゴミの量では「ペレット工場」をフル稼働するほど無いし、「ゴミ発電所」を県南に作れる見込みもないし…
遠くまでペレットを運ぶのでは意味もないし…
という事で、今ある「普通の焼却炉」に落ち着いたのです。
その後、御浜町の焼却炉もだめになるし、三重県が「RDF発電所」を作るということで、南牟婁郡、御浜・紀宝・紀和・鵜殿が共同で阿田和に「RDF工場」を作りました。
これが阿田和の少し奥、尾呂志川沿いにある「RDF」工場です。
元は熊野市に関係のないものでしたが、紀和町と合併したのでこの工場の負担金が熊野市にもかかってきました。
紀和のゴミの量なら有馬の炉で十分焼けますが、「もうやんペ!一抜けた!」とは行きません。
続く