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LUZの熊野古道案内

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2019年 09月 11日

隣町 尾鷲

 熊野の隣で江戸時代は同じ紀州藩だった町に「尾鷲市」があります。
 隣なのですが、その間には大きな山塊があり、海伝いに行くには熊野灘の荒波と荒磯があります。
 昭和になり、矢ノ川峠が開かれ、その次に紀勢本線が西線と東線が結ばれました。
 昭和45年頃には今のルートの国道42号線が完成し、さらに、平成には「熊野尾鷲道路」もできて、随分近い街になりました。
 紀勢線が全通するまでは、旧国道42号線の矢ノ川峠越えで42Kmを2時間40分で国鉄紀南線のバスに揺られてゆきました。
 今は、「熊野尾鷲道路」で30分程で走れます。
 まあ、ようやく「隣町」になった感じです。

 熊野市も尾鷲市も昭和の大合併の時に、熊野市は南牟婁郡の中心として、尾鷲市は北牟婁郡の中心として「新市」として誕生しました。
 地形的なものもあり、熊野と尾鷲は言葉や習慣でも違いがあり、平成の大合併のときにも「一緒になろう」と言う話は出ませんでした。
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 尾鷲は合併の時から熊野市より少し人口が多かったし、その後には「中部電力三田火力発電所」を誘致し、それに伴い燃料タンクが並んだり賑やかに見えました。
 火力発電所の排気ガスで公害も出かけましたが、対策ができていたようです。
 入口の狭い尾鷲湾と背後の山がお椀状になっているので条件は良くなかったのでしょう。

 電力があって港があっても平地がないからでしょうね。
 工業が始まることもなかったです。
 このタンクも今では無用の長物です。
 こんなタンクに保管するほど燃料を焚く工場は出来ないでしょうからね。
 
 次にはこのタンクの主、火力発電所について少し書きます。
 尾鷲は漁業と火力の二本立てで生きてきた街だったのです。






by je2luz | 2019-09-11 04:25 | 旅 番外編 | Trackback | Comments(0)
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