今月号の記事は「伊勢湾台風60年特集」がトップです。
昭和34年(1959)9月21日に発生し、巨大台風に発達し9月26日に上陸、伊勢湾沿いに北上したのが「15号台風・伊勢湾台風」です。
熊野市でも被害が出ましたが、幸いにも人的被害は死者1名で済みました。
私は高校2年生で木本でこのお台風を経験しました。
今住んでいる隣に本家があり、その離れで高波が堤防を越すのを目撃しました。
建物が石垣に守られていたので無事にすみましたが、波の恐ろしさを実感しました。
堤防は今より低かったのですが、堤防に波があたって家も揺れていたのですが、家のすぐ裏で堤防の上に水が盛り上がって、続けて崩れるように越えてきました。
厚みにして1m余りだったと思いますが、一発目で家の裏に建っていた平屋の借家がグラっと揺れ、2発目で崩れて流れ始めました。
トタン葺きの借家とは言え、たった2発で家が崩れるのですからね。
それがピークだったようで我が家の石垣は無事でした。
その当時は国道42号線は記念通りで、今の国道部分は平天工場、かご屋の仕事場、借家、芋畑、物置などが並んでいて、本町の裏通りだったのです。
ちょうどそのスペースが2車線の国道を通すのに合っていたので、木本町内の国道はすんなり出来たのです。
伊勢湾台風は猛烈な風を伴っていて、台風が近づく時は東の風で鬼ヶ城方向から吹き付けました。
木本の本町通りは海に面しているので瓦屋根はほとんど全戸剥がされました。
被害は関船町から馬留にかけてで、三丁目から北側は鬼ヶ城の山が風よけになって屋根の被害は殆どなかったのです。
その代わり、西郷川が暴れて新田や親地町に大きな被害が出ています。
木本だけで全壊9・半壊21・床上浸水121も出ています。
最大の被害は甫母町で集落全体がほとんど流失しています。
それでも死者ゼロで済ませた地域の指導者が居たようです。
伊勢湾台風はこの辺より県北部や名古屋方面でとんでもない被害を出したのでこの辺のことはあまり取り上げられません。
しかし、その後の海岸線の護岸の基準は「伊勢湾台風級の高波に耐えるもの」ということになりました。
でも、木本堤防を越えた事実とか波高などは記録されていませんから、松坂港で記録されたものが引用されたりしています。
その後の高波の経験から、「やっぱり松坂港より木本の方は波は大きい」ということがわかりました。
その結果が「潜堤」として実現したのです。
人の動き 令和元年8月1日現在
人口 16,780 (-31)
男 7,720 (-8)
女 9,060 (-23)
世帯数 8,881 世帯
お誕生に名前を出しているのは5人だけです。
それに引き換え「おくやみ」には17人出ています。
出さない人、呼び寄せ介護で田舎から出てゆく人…
年間300減だと5年で-1500…
令和7年には15000人を割りそうですね。
「南牟婁市」にしないと効率が悪いですね。
北牟婁と一緒に「紀伊牟婁市」のほうが良いのかも…