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2019年 06月 17日

紀勢西線・東線 連結60年 3

 紀勢線についてもう少し… 紀勢本線って国道42号線と同様、紀伊半島を首飾りのようにぐるりと回っています。 国鉄の路線は始発点・終点の間を結ぶために作られているのが多いです。 東海道本線・山陽本線・北陸本線・高山線などそうです。 紀勢本線は東西に分かれていたときは、紀勢西線は天王寺(和歌山)ー新宮・紀伊木本、紀勢東線は名古屋(松阪)ー尾鷲とそうした路線でしたが、全通すると様子が変わりました。 列車・路線の両端を結ぶ列車って通しで走る意味が良くわからないことになります。 大阪ー名古屋なら、当時でも関西本線、東海道本線があり、伊勢方面には近鉄の方が効率的です。
 国鉄時代には「普通」「快速」「準急」「急行」「特急」といろんな格付けの列車が走りました。 客車も「一等」「二等」「三等」とあり、きっぷの色が違いました。 庶民が乗るのは「三等」で、「赤キップ」でした。 「違反切符」ではないのですが良いものではない意味になりましたね。

 この紀勢本線は国鉄民営化で「西日本旅客鉄道」と「東海旅客鉄道」に分割されました。
 この時、県分けの時同様、熊野川が境で三重県は東海、和歌山県は関西になりました。
 今ではこちらの列車は気動車なので電化区間も走れますから、「特急南紀」は紀伊勝浦まで乗り入れていますが西日本側の列車は新宮駅を過ぎると架線がないのでこちらには入れません。

 国鉄民営化、分割以降は熊野市側から大阪に向かう時、天王寺へ出る人がほとんどいなくなりました、
 列車でゆくにしても、松阪経由、近鉄でゆくほうが早くて安いということになりましたからね。
 
 国鉄当時にはいろんな列車が生まれては消えましたね。
 そのうち、「準急」が消え、「急行」も消え、「快速」も来なくなりました。
 何しろ黒字になったことのない路線です。
 今は普通列車と「特急南紀」だけです。
 国鉄時代の一時期は、「天王寺発名古屋行普通列車」なんてのが運行されていました。
 「東京発播州赤穂行普通列車」もマニアの間では知られた存在でしたが、この紀勢本線の普通列車も「遠回り長距離列車」として知られていました。
 一度、汽車の中で若い男の人二人が、「全線通して乗る」と言うのに出会ったことありますが、「南紀」なんて名前もついていたようですが、14時間もかかったようです。
 そりゃあ、通しで乗る人はいないでしょう。
 「播州赤穂行」には乗るには乗りましたが、京都で降りちゃいました。
 天王寺発新宮行の夜行列車も二本も走っていた時代があり、一本は木本まで来ていたように思います。

 路線がどこまでが下りで、どこからが上りか判断しにくいようなところですから、列車も「速玉」「南紀」「くろしお」「はまゆう」など色んなのが生まれては消え、走行区間もいろいろ変わったようです。
 それだけ紀勢本線はややこしい歴史を経てきたようです。
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 昔は木本までは大阪経済圏でした。
 歴史的に紀州藩であったことと交通の便がそうさせてきたのですが、全通後の列車の変遷、道路の改良で、本来行政が三重県・東海圏なので徐々に商業関係も東海へ移ってゆきました。
 今でも、電気は大泊の宮川以南は「関西電力」、電話は「NTT西日本」などは残っています。

 十年一昔…
 紀勢線が全通したのは「六昔」ですね。
 列車はきれいになったけど乗る人が…
 この「キハ40」も消えましたね。



by je2luz | 2019-06-17 04:25 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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