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2019年 06月 15日

紀勢西線・東線 連結60年 1

 私が高校に入ったときは、まだ紀勢線は西と東に別れていました。
 尾鷲側は三木里まで、こちらは紀伊木本までだったのが工事の関係もあり新鹿まで伸びていました。
 高校の遠足で新鹿まで汽車に乗ったのですが、貨物車両、無蓋車トムかトキによじ登って乗りました。
 今だったらそんな乗車は学校行事では認められませんよね。
 その当時も駄目だったのでしょうけど大勢だし…
 そして、昭和34年(1959)7月15日に紀勢線が全通したのです。

 汽車も直通になったけど、他にも大きく変わりました。
 「紀伊木本駅」が「熊野市駅」になりました。
 開通した熊野市ー尾鷲間が6割ほどトンネルということもあり、新宮から熊野・尾鷲・松坂方面の列車は蒸気機関車がなくなり、ジーゼル機関車牽引かジーゼル気動車になりました。
 新宮から和歌山方面は従来どおり蒸気機関車が引っ張っていました。
 このことが先では向こう側、紀勢西線は電化されたのに、こちら紀勢東線は無電化のままになりましたね。
 蒸気機関車は加速は悪いし、ばい煙は出るし…
 でも、汽笛の音、あのドラフト音は良いものでした。
 駅から400mほどで間に要害山もあるのに、ここまで聞こえてきましたね。
 汽笛は風向きのよっては山を越えて飛鳥まで届きました。
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 昭和34年当時の熊野市駅・紀伊木本駅ですがボンネットバスがいます。
 隣接して日通(丸通)が見え、荷物の集積場には材木が山積みになっています。
 紀勢線全通も産業振興に役立つと期待されていたのですが、しばらくするとトラックの時代に入り、一次産業も衰退するし…今では貨物列車もありません。
d0045383_13283222.jpg
 これが紀勢線全通時に投入された「DF50」と言うジーゼル機関車です。
 国鉄が蒸気機関から電気・ジーゼルへの切り替えに入った頃ですした。
 貨物も旅客もこれで引っ張っていたと思います。
 夜行列車「那智号」もこれに引かれ、多気で「伊勢号」と合流し、名古屋で一時期は「能登号」一時期は「出雲号」と合流して早朝に東京駅につきました。
 名古屋からは電気機関車に引かれました。



by je2luz | 2019-06-15 04:25 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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