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LUZの熊野古道案内

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2019年 05月 31日

怖いことでしょう

 「さんま・さいれ」について書きましたが、少し前に同じように大衆魚の代表で、日本中、いや。世界中で捕れていた「いわし」がおかしくなってきたと書かれていました。
 伊勢湾の「コウナゴ漁」はもう何年も休漁状態です。
 
 鰯と言えば日本では地引で大量に捕っていたし、動物の記録フィルムではアフリカ沖などでの大群、鯨やイルカの狩りなどが出てきますが、海の色が変わるほどに発生し、中型魚、大型魚、ほ乳類などの食生活を支えているものです。
 その下にはプランクトンが居たり沖アミが居たりしますが食物連鎖の底辺を支える資源です。
 これがおかしくなれば、直に鰯を捕る漁業では無く鯖・ハマチ・ブリ・マグロなどの資源にまともに影響するでしょう。
 つまり、海が死にかねないと言うことです。
 ものすごく恐ろしい話です。
d0045383_15362055.jpg
 「死の海」になっても、やっぱり青くて綺麗には見えるんでしょうね。
 入道雲が沸き、白波が立ち・・・
 でも、カモメなども居なくなります。
 そして、人類も大食糧難に直面します。
 あと、50年なのか100年なのか・・・
 海水温が上がり続ければ必ず起きるんだそうです。

 山の氷河はどんどん消えているし、北極圏と南極大陸の氷はどんどん減るし・・・
 保冷装置の底が付けば一気に海は暖まるでしょう。
 海水面が上がって、南太平洋の島は消えるし、世界のデルタ地帯には住めなくなるし、台風やハリケーンは巨大化するし・・・
 「鰯が居なくなる」はこうした怖いことと同時進行するでしょう。
 ぎりぎりになったら世界中の国が発表するでしょう。
 新聞のトップ記事になってからではねえ・・・



by je2luz | 2019-05-31 04:28 | 雑感 | Trackback | Comments(7)
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Commented by 8560 at 2019-06-27 23:22 x
写真の船。なつかしいです。
昔にはこんな船がずっと鵜殿地区までの海岸にありましたね。
港などなく、この写真のように海岸から直で海に出て
漁をしていたのを覚えています。
記憶ではシラスを採り、窯ゆでにして問屋へ輸送していたように思います。
人手は、漁のある時に早朝に螺貝を吹き鳴らして人を集めて
写真のように船を出して海へ出漁していました。

船にはエンジンもモーターもなく、すべて人の手で櫓や櫂でこぎ
漁を終えた船を、大人も子供もロープで引っ張って引き上げるのです。

いやぁ懐かしい写真を見せていただきました。


Commented by je2luz at 2019-06-28 12:46
 この時代までこうした「浜」に漁村があり、「半農・半漁」の人が多かったです。
 堤防で見張りがいて、魚が湧くと半鐘やサイレンなどで人を集めていましたね。
 この七里御浜には一杯地引網の漁業権がありこうした船がありました。
 一部が「観光地引」で生き残ろうとしましたが駄目でした。
 木造船も朽ち果てて消えました。
Commented by 8560 at 2019-06-28 13:52 x
あのころは私の言う地域には堤防はなかったです。
波打ち際まで相当ながい距離の浜がありました。
また、半鐘やサイレンでなく法螺貝(ホラ貝)でした。
今は堤防があり、堤防のすぐそこが波打ち際です。
Commented by je2luz at 2019-06-28 21:08
> 8560さんへ
 ***
 浜が一番無くなって居るのは井田海岸ですね。
 熊野川の砂利流下の減少に鵜殿の突き出し港が引導を渡したようなものです。
 これでも大井川河口に比べるとましとも言えるのですが・・・
Commented by W at 2019-06-30 13:10 x
「浜」が一番なくなったのは鵜殿地区の浜です。
鵜殿海岸は皆無です。
港だけで、浜はまったくありません。
見てきてください。 w

井田はまだ残っています。
Commented by 8560 at 2019-07-01 20:39 x
私の言う地域では
漁の知らせは早朝の法螺貝(ホラ貝)でした。
法螺貝を吹いて漁を知らせていました。
サイレンなんてなかったですね。
いずれにしても飛鳥までは聞こえなかったでしょうけどね
(笑)。
Commented by je2luz at 2019-07-03 17:47
> 8560さんへ
 ***
 志原尻の地引では引かなくなる頃には堤防の上に小さな手回しサイレンが置かれていました。
 最後は二杯の和船でしたね。
 口有馬は観光地引を随分後まで引きました、
 木本もPTAなどの観光地引やりました。
 娘が小学生の時の頃にはこの下に船を置いていました。
 1990年頃ですね。
 木本の地引漁業権は潜堤工事のために買い上げました。


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