昭和24年9月28日毎日新聞の続きです。
たった二面の新聞なのにスポーツ記事が出ています。
野球がダントツで人気のあった時代です。
「大映ー東急」「巨人ー中日」、東京六大学「慶応ー法政」。関西六大学「同志社-立命館」と結果が出ていますね。
そして、プロ野球は選手成績も・・・
巨人軍を見てください!
千葉・白石・靑田・川上・・・とならんでピッチャーは別所です。
中日には西沢がいます。
東映には小鶴がいます。
私はまだ小さくてこの頃はまだ野球放送など聴きませんでした。
少しすると「巨人フアン」になり「靑田」が好きでした。
このメンバーで「別所」の名前を見ると「300勝投手・巨人のエース」と、浮かぶ人が多いでしょうね。
でも、この年は「別所事件」の年なんです。
南海のエースを引っこ抜いた大事件だったのです。
この事件があってからプロ野球界では協定とかが出来たのだそうです。
巨人軍ってその後でも、「江川・空白の一日事件」なんてのを起こしましたね。
協定違反で無くても、金田・落合・清原・川口・広沢・工藤・小笠原・・・よそのエースや4番バッターをお構いなしで引っ張っています。
あまりにも露骨なやり方が巨人の人気を落としてきたのかも知れませんね。
こんな小さな記事から戦後の野球の一面を思い出しました。
広告も時代らしく洋裁学校が文化、ドレメ系列などが並んでいますし、映画の広告には「足を洗った男・長谷川一夫・山根寿子」「北ホテル・アナベラ」なんてのがでています。
UP通信社の副社長が本社を訪問したことが飛行機の紹介と共にでているのが戦後すぐらしいです。
「サンフランシスコ・講和条約」は1951年9月8日昭和26年でこの新聞の2年後です。
ボーイング377と言う飛行機はB29を元にした大型旅客機だったようです。
下のように改造されたものはアポロ計画のロケット部品輸送とかで使われ、新聞に載ったこともありますね。
スペースシャトルはジャンボにおんぶされていましたけどね。
もう、パン・アメリカと言う航空会社は無いんですよね。
航空バッグが流行った頃、パンナムは人気だったのですが・・・