靖国神社は今年で150年を迎えるそうです。
その歴史の半分はこの神社が存在する理由とも言える戦争の時代でした。
私がこの記事を書くと腹を立てる人も居るかと思います。
私は戦死した父親を大事にしていないようですからね。
一応、私も「遺児」の一人です。
靖国にも何度か参拝していますし、中学の時には団参で熊野市中の同学年の遺児で東京に行った記憶があります。
家族でも参拝したこともあるし、受験前にもお参りしました。
東京では随分写真を撮りましたが、靖国を撮ったのは二回くらいしかありませんね。
今回、ネガをチェックすると日本しか出てきません。
記憶に残っている、おばあさんがもんぺを履いて急ぎ足で社殿に向かう写真が見当たりません。
今の私の取り方に近い写真だったのですが・・・
この写真は昭和37年とかの時代ですから、戦後17年ほどしか経っていません。
遺児の一番若い方になる私がようやく18歳とかです。
子供を亡くした親でも40代から60代です。
夫を亡くした妻となると30代から40代でしょう。
私のように父親の顔すら知らない遺児はぴんと来ませんが、靖国に参る人達は今では想像できないほど生々しかったのでしょう。
何処の国でも国に命を捧げた英霊に対して礼を尽くして祀っているようです。
それが権力者に利用されることも多いようですし、日本でもその過去があり、今も影響が残って居るように思えます。
すなおに「靖国」を受け入れられない私のような人間も結構居るでしょう。
そして、死後でも階級が生きている軍人の世界がそこに透けて見えます。
「千鳥ヶ淵」との関係もすっきりしません。
あと20年もすると、直接の当事者は遺児でさえ居なくなってしまいます。
変な風に利用されなければ良いのですが・・・
美化してはいけないこともあるのです。