正月はどこの国でも大きな節目のようです。
「暦」と言うものが出来たときから、その始まりの日があり終わりの日があるようになったでしょうからね。
「暦」と言うものはずいぶんいろんなものが作られてきたようです。
私たちには今の「新暦・太陽暦」と「旧暦・太陰暦」の二つが身近にあります。
今の新暦は「グレゴリオ暦」と言うやつですね。
明治6年1873年に太陰暦の少々ややこしい暦から今の太陽暦(グレゴリオ暦)に改められたようです。
それまでは大の月、小の月、閏月…ずいぶんややこしかったようです。
西洋でも「ユリウス暦」のほかいろいろあったのが「グレゴリオ暦」統一されていったようですが、ロシアでは「ロシア歴」がずっと使われてきたのでトルストイの小説などでもそれが出てきてややこしいです。
歴史の上では「暦」を支配するものが世の中を支配したようです。
何しろ、年の初めを決め、農作業などの時期を決められますからね。
その元になる月や太陽や星の観察と知識は権力者の根源でもあったようです。
かのシーザーも暦をいじりました。
地球は太陽の惑星としてかなり正確に公転しており、自分自身もかなり正確に自転しているようです。
太陽も連星なんてややこしいのではなく単独で宇宙に浮かんでくれていますしね。
だから、暦も作りよいようです。
月の存在も地球の公転を揺るがせるほどのものでもないようです。
それでも太陽を一周する時間がうまく自転の回数365回にならないので4年に一回一日増やさないといけないので「うるう年」がありますね。
最近取りやめたようですが、一日の長さが少しずつずれるので「うるう秒」なんてのを挿入していましたね。
人間の一生くらいならそんな誤差は大したことないですが、何千年、何万年となると無視できないでしょうね。
私の一生の中でも春分の日・秋分の日はずれてきていますからね。
長い目で見ると南北の軸が逆転していた時代もあるんだとか…
そんな気の長い話を真剣に考え、観察する学問って変わり者がやるのでしょうね。
その変わり者たちのおかげで私たちの生活がきちんとしたリズムで刻めるのでしょう。
長くなりましたが…
正月の風習で、飛騨の辺りの「餅花」が取り上げられますが、子供のころには我が家でも「餅花」作りました。
木は「黒もじの木」だったように思います。
枝に小さな餅をくっつけるのは同じでした。
でも、あれって、うまくアラレみたいには焼けないし食べた記憶がないです。
サイレの寿司の頭はコンロで焼いて食べていましたが、私は好きではなかったです。
今なら多分食べられると思いますけどね。
今のように鏡餅をラップでくるむことができないので、鏡開きのころにはひび割れてカチンカチンでした、
とても切ったり焼いたりできないので水に漬け「水餅」にしました。
私は堅いやつより「水餅」が好きでした。
ずいぶん後になると、鏡餅を切ったりする「押し切り」が丸田商店で売っていましたね。
押し切り使うほど餅文化が隆盛だったのでしょうね。
今はどうなのでしょ?
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