昨日は高校の恩師の歓迎会で集まりました。
13時過ぎの列車で来られたので、「おもてなし館」で少し休憩してもらってから、「鬼ヶ城」へ出かけました。
奥様も一緒でしたし、時間の無い時「鬼ヶ城」は案内しよいです。
この「鬼ヶ城」…
高校の遠足で来たことあります。
学校から15分ほど…
クラスほぼ全会一致で決まったので、先生も認めてくれましたが、「遠足」になる距離では無いですね。
そのときに先生の付けた条件…
「お昼過ぎるまで学校には戻らないこと」でした。
10時なんかに学校に戻ったら、ほかの先生に言い訳が立ちませんからね。
なんともおおらかな学校でしたね。
先生も覚えておられました。
そういう学年でしたから、修学旅行の時、「九州へ行きたい」と申し込み、学年全員、普通科、商業科、家庭科全員にアンケートを採りました。
東京と九州がほぼ半分になりましたが、「学校としては半分に割れないから従前通りに東京に行く」と通告されました。
そこで引き下がるような学年でも無かったので、もう一度アンケートを採って…
「九州希望者は九州で無ければ修学旅行には行かない」と言う結果を集めて再交渉し、初めての試みとして九州と東京半々での実行になりました。
こうなると、同じクラスでも別れますから、担任の先生は自分のクラス半分とよその半分を受け持つ変則な引率になりました。
ちゃんと統制のとれた行動にはなりましたが、先生は大変だったでしょうね。
九州に行くもの木本高校としては初めてでしたしね。
これも通してくれた良い学校でした。
長髪・革靴も認めてくれたし…
荒れないで通せたのは不思議なくらいです。
私???
おとなしい性格ですからご想像にお任せします。
ただ、こうしたことで学校を荒れさせたことは一度もありませんでした。
粛々とアンケートを採り、同意を得ただけです。
そして、理解してくれる先生方が居たと言うことです。
昨日集まったのは、先生のほか同級生は15名です。
九州班も東京班も居ますね。
このようなことでは荒れませんでしたが、勤務評定問題での生徒集会が毎日のように開かれた時代でした。
討論会が出来るように、左も右も居ました。
校内弁論大会でヤジが飛んだのをきっかけに原稿など無視で討論に発展させてしまったことがあります。
壇上にいたには私ですが、先生はこれをも止めませんでした。
終わってから…
「これも良いんじゃ無いか?」と言ってくれました。
本当に自由で良い学校だったのですね。
この伊藤先生も理解者の一人でした。