行楽シーズンには「都会から田舎へ」観光客が
盆と正月には「都会から田舎へ「里帰り客が
春には若者が「田舎から都会へ」
これが長年続いた図式でした。
交通の便が良くない時は、片道100Kmなんてのは完全に旅行の距離だったのです。
名古屋や大阪の人が伊勢・志摩や南紀白浜・勝浦まで来るのは観光旅行でした。
田舎の人にとっては農協さんなどが団体で連れ回すようになるまでは都会に行くなんてあまりなかったのです。
不便なのって良いところもあったのです。
大阪から勝浦に来るのでも天王寺から夜行に乗って来たのですからね。
天王寺を30分ほどの違いで二本もの夜行が出たのですからね。
つまり、どこかで泊まらないと来られない…
那智山、速玉大社、本宮大社を一日で回るなんて出来なかったのです。
余裕のある人は2泊で…
だから。白浜でも勝浦でも湯川でも一杯旅館があってやってゆけたのです。
今じゃあ、チェーンに入る旅館以外は苦しくなり、随分減ってますね。
木本などは紀勢線の全通で一気に旅館が減りました。
レジャーブーム、日本列島改造論の時代に、外の資本が大きなホテルを作ったりしましたが、撤退しましたね。
熊野古道が世界遺産になった時に、「入り込み客の大幅増加が見込める」と役所ははやし立てましたが、現実は、来てくれる人も「ハイキング」に来るのであって、「物見遊山」では無いので泊まらない・買わないですからね。
決まった当初に、「一杯人来るんやろねえ…」とよく聞かれましたが、熊野古道の特性から言っていわゆる観光地にはなり得ません。
だから、「人が通ってもお遍路さんみたいなものだから、遍路道のように地元は親切に迎えるしか無いと思うよ」と、私などは言ってました。
その予想通りというか、ハイカーが歩いてはいるのですが、世界遺産がどんどん増えると都会の人も新しい方に行きますね。
昔の熊野詣でのように「信仰・信心」が元にあるのとは違いますからね。
近年は汽車が駄目でも道路がどんどん良くなり、休日ともなると田舎から外に向かう車も多いです。
私も若い頃はそのように動いたのですが、まだ、道も悪いので若い人みんながよそに買い物に行くほどでは無かったですね。
今では、松坂・津まで2時間かからないでしょう。
ショッピングセンターやアウトレットまで走っても3時間ほどですね。
もうすぐ、尾鷲の南北も繋がるし…
この日曜日に名古屋まで所用で出かけましたが、夕方の下り線の車の多さに驚きました。
三重ナンバーと和歌山ナンバーですよね。
上り車線より多いのじゃないかなんて思うくらいでした。
「ストロー現象」が大きくなっているのでしょうね。
「古道歩き」はコンビニ弁当ですが、こちらからの買い物客はちゃんと食堂で食べるのでしょう。
どうにも収支が合いませんね。
HPいじったついでに花火の写真少しアップしました。
ブログの時より少しサイズ(横1024)を大きくしてあります。
壁紙などには十分な解像度です。
ご自由にお使いください。
追々増やしてゆきます、