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LUZの熊野古道案内

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2006年 02月 19日

熊野の旅 この半世紀の熊野の開発計画 2

 日本全国、世界中で国土の開発と言うとまず第一番に計画されるのが鉄道でした。日本でも明治以来国土の隅々まで鉄路を敷こうと計画されました。この紀伊半島も海岸沿いにぐるっと回る『紀勢本線』が計画、着手されました。戦争前には大阪・天王寺から新宮へそして紀伊木本(現・熊野市駅)までが出来ました。名古屋からは関西本線の亀山から伊勢神宮に向かう参宮線が早期に整備されその途中の『相可口』(おうかぐち)から分かれて南下する形で進められ尾鷲まで完成しました。
 残された熊野ー尾鷲間は平地の全くない地形からトンネルばかりになり昔の技術では大変なものでした。この区間は矢ノ川峠808mの峠越え連絡バスで代行されました。鉄道工事は太平洋戦争の激化と共に中断されてしまい戦後落ち着くまで再開されませんでした。
 戦後、早くに計画されたのが、この東西に分断された『紀勢西線』と『紀勢東線』とつなぐことでした。
 熊野ー尾鷲の区間は6割がトンネルという難工事でしたが、当時としては最新技術の『ジャンボ掘削機』を使った『全面堀』を採用して掘り進められました。新鹿から先は頂戴トンネルの連続で国鉄の前線基地も其処に置かれ技術陣をはじめ大勢の人が駐在していたようです。
 この鉄路開通が戦後最初に地元が渇望し、国が手がけた最初のまともな開発事業でした。
 戦争で中断されるまでに作られたトンネルが木本町にはありました。そこを列車が走ったのは20年もあとになったようです。
d0045383_13203493.jpg


 紀勢線『二木島駅』・・・トンネルとトンネルの間にある小さな駅です。
 カメラは イコフレックス2A

by je2luz | 2006-02-19 13:23 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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