LUZの熊野古道案内

je2luz.exblog.jp
ブログトップ
2006年 02月 18日

熊野の旅 この半世紀の熊野の開発計画 1

 千年余っての昔、朝廷や貴族の寄進により発展した熊野三山はこの地方最初の開発だったのでしょうね。
 それ以来、源平から戦国時代にかけては水軍の本拠地として派兵はあったようですが、他の場所ほどわざわざ取りに来る価値のない場所らしく平穏無事で過ごしたようです。江戸時代も何事もなく開けることもなく、開国、明治になっても取り立てて港が出来るでも無し、難所の潮岬に大きな灯台が出来たくらいです。紀伊勝浦・湯川は温泉に恵まれ鉄道が引かれてからは温泉場として関西の客は集めていました。その賑わいも三重県側には及びませんでした。
 昭和に入り『国立公園』が指定されるようになるとすぐに『吉野熊野国立公園』が指定され記念切手も出されました。この国立公園は今の世界遺産同様紀伊半島の南から吉野にかけての広大なものです。私の子供の頃の地図には区域がはっきり印がつけられていたのですが、何時の間にやら国立公園が色塗りされることもなくなったようです。
 このようにちょいちょい色んなことはありました。しかし、熊野地方は遠い・平地がないと言うことで列島改造論敵開発には向かないので開発されることはありませんでした。皆さんも日本の地形図で紀伊半島の南の方を見てください。この巨大な紀伊半島がいかに大きくていかに平地がないかすぐに分かりと思います。いわゆる緑で塗った部分が糸状にあるだけです。面であるのは熊野ではなく伊勢と紀ノ川です。
 こうした開発に適さない熊野の地ゆえに自然が荒らされず残された面もあります。そして何も無い事が今の世界遺産指定につながったものかと思います。
 次からは戦後から今につながる開発計画についてしばらく書いてみます。
d0045383_11365681.jpg

吉野熊野国立公園・鬼ヶ城
カメラは コダック・メダリスト I

by je2luz | 2006-02-18 11:37 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : https://je2luz.exblog.jp/tb/2708094
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]


<< 熊野の旅 この半世紀の熊野の開...      熊野の旅 熊野古道・七里御浜と写真 >>