近々、日本に新しい「世界遺産」が誕生しそうです。
長崎、熊本の「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」だそうです。
歴史の教科書でも「キリスト教禁令」「踏み絵」「隠れキリシタン」などと言うことが出て来ました。
信仰ってもの凄く強いものなのか、そこまですがらなくてはならない程非道生活だったのか・・・
私たちは「隠れキリシタン」と言う呼び方で馴染んできましたが、今は「潜伏キリシタン」と呼び方変えたんですね。
熊本、長崎は高校の修学旅行で行っただけですから、駆け足で名所を回っただけなので「大浦天主堂」と「日本26聖人殉教地」くらいしか行っていないと思います。
映画などでは「天草四郎」なんてのも良く出て来ましたけど・・・
こんな風で、江戸時代の「隠れキリシタン」というと長崎・熊本が浮かんできますが、この地方でも結構いたようですね。
「キリシタン灯籠」なんてのがあちこちに残されているようです。
落人が落ちてきて暮らせるくらいこの奥熊野は僻地でしたから潜伏出来たのでしょうね。
私はこっち向きのあまり興味がないので知りませんが、「我が家は隠れキリシタンだ」と言う家を知りません。
表向きはこの辺で市場多い「曹洞宗」の末寺に籍を置いて居てのでしょう。
これは飛鳥町大又大台平にある「庚申様」ですが、ここの灯籠は「キリシタン灯籠」だそうです。
丁度10年前、2007年7月に掲載したものです。
この頃はデジカメでは無く白黒写真です。
下はその時に記事の一部を再掲したものです。
再掲
写真に写っている二基の石灯籠のうち右側のものがそうです。 天辺の部分が丸ではなく四角くなっているので『切支丹灯篭』と呼ばれているようです。 作られたのは江戸時代らしいです。 元は対岸の『池田平』にあった『池田家』にあったものだそうです。それが、対岸の『庚申様』の境内に移されています。池田家はこんな灯篭を置くほど立派なお屋敷だったのでしょうが、今は現存しません。地名に残っているだけです。 切支丹灯篭でも色んなものがあるようです。この灯篭はもう一つピンと来ない感じの物ですが、郷土史研究家がそうおっしゃるのですからそうなのでしょう。 ここは、大又川を挟んで国道42号線と平行に走る市道の途中にあり、乗用車なら簡単に行けるのですが、駐車場はありません。小さな『庚申様』の祠ですから当然です。隣は民有地ですから迷惑が掛からないようにしてください。 渡るのは昨日の狭い橋ではなくその下流の『上橋』(かみはし)になります。この橋は営林署の官林に入る林道用に作られたもので結構立派な物です。 今は庚申様の下流で市道の工事が行われているのでそのまま下流には下れず、すぐそばの橋で国道に戻ることになります。 カメラは フジカST605N+クルタゴン35mm