LUZの熊野古道案内

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2017年 12月 30日

官製パンフレットと千枚田

 今のお役所とその外郭って色んな印刷物を出しますね。
 出すことが目的で、その先のことなど考えていないようなのもありますけど…
 不思議なことに名目が付けば予算ってついちゃうのです。
 よその部署の企画を切るのが難しいのかな?
 市町村役場、県の本庁や支庁に行くと入口ホールから各課のカウンタまでいろんなものが置かれています。
 私はブログネタにならないかと時々貰ってきます。
 多くは資源ごみになっちゃいますけど…

 こうしたパンフレットに載せられている記事は正確なのだろうと思われます。
 執筆者の署名はないですが、大学教授とかその筋のオーソリティに意見を聞いている?とか説明しますからね。
 少なくとも、企画段階と予算取りのときには…

 こうした役に立つパンフレットを手に入れても中々記事に出来ません。
 「著作権」とかも邪魔しますしね。
 引用した文献や資料を明記すれば少しばかり免責されるみたいですけどね。

 今日は「三重県立熊野古道センターからのてがみ」」と言うパンフレットから…
 「日本の棚田」と言う記事で丸山千枚田を取り上げています。
 この「古道センター」は県立ですから実に色んなことをやっていますね。
 熊野に居ると利用することも少ないですけどね。
 併設されている食堂にはいったことのある人も居るでしょう。
 熊野古道のセンターが尾鷲に出来たことに、出来た当初は異論もあったようです。

 2017年冬号の記事ですが、丸山千枚田の歴史に少し触れています。
 原典は紀和町史と田村善次郎著「棚田の謎」だそうです。
 短い記事なので詳しくは書かれていませんが…
 慶長6年(1601)の検地のときで7町1反8畝、元禄10年(1697)には2240枚、明治30年に2483枚と言う数字が出ています。
 平成4年に530枚まで減っていたそうですが今は1340枚まで復活しているそうです。
 前に見たものでは、始まりは鎌倉時代だろうと言うことでした。

 1601年と言うと関ヶ原のあくる年、この検地は「太閤検地」の続きなのでしょうね。
 鎌倉期から慶長までの間に2000枚もの棚田を積みあげたパワーってすごいですね。
 北川さんが音頭をとった平成の大復興も重機が使いにくくて苦労したようですが、一から石垣を積み、「水盛り」だと思うのですが、順番に棚田に水を回す設計をしたのもすごいです。
 手抜き工事などなしでまじめに工事をしたのでしょう。
 そうした棚田が規模の違いがあっても熊野市中…日本中にありました。
 そして、消えようとしています。
 「マチュピチュ」などでびっくりすることないでしょう。
 「帝国」「王」なんていない田舎の山の中にこんなものがあるのですから…
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 丸山千枚田の石垣を積んだ職人集団は「黒鍬さん」と呼ばれたようです。
 紀州は急傾斜地が多いので優秀な石工が沢山いたのでしょうね。
 500年も経った私が子供の頃にでも飛鳥に石屋さん・石工さんが居ましたね。
 新鹿には本格的な採石場と石工さんが昔からいたようですし…



by je2luz | 2017-12-30 04:25 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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