昨日、「木本事件の慰霊祭」にお参りしました。
地元からの一般参加は私一人です。
この事件は関東大震災後の朝鮮人虐殺の流れを汲むような悲惨なものだったようです。
私は祖父から何度か聞かされて居ました。
日本名で「春山」「秋山」と呼ばれて居た木本隧道の工事現場で働いていた朝鮮人労働者が木本の住民が組織していた団体に襲撃され撲殺されたらしいです。
「工事現場のダイナマイトを使って反乱を起こす」と言うようなデマが広がったそうです。
祖父は「春山という男は良いやつでそれまではみんなと仲良くやって居たのに、群集心理って怖いぞ。 若い衆質を止めることは出来なかった…」と、言っていました。
この事件に関しては、私が市議になった頃に社会問題化しかけ、朝日新聞が書き立てたこともあります。
そして、慰霊碑建立の動きも出ました。
たまたま、年齢的に全く知らないはずの私が祖父からの話も聞いていたので、同僚の議員に話すと、親地町の先輩議員が「婆さん達がその人らの碑を守っているみたいやぞ」といいました。
他に議員方も「木本のこととは言えやったことは悪いし、出来ることはしよう…」ということになり、時の教育長・市長・課長さん方にも協力頂き慰霊碑建立の助けにと言う資金を集めました。
行政が関与出来ないので社協に預けたのですが、碑の建立に関して色々なことがあったようで、支出も出来ないでいたところまでは記憶にあります。
そして、問題になった「熊野市史」の記事に関しても、「史実を正確に伝えていない感じがある」と言うことで、執筆者の方にも確認して、「格好良い威勢の良い記事にしてしまって申し訳ない」という趣旨のコメントも貰いました。
ただ…市史の訂正版発行までの予算を作るのも不可能なので、確か冬至の当事者の方にはその旨をお伝えしたと思います。
熊野市、熊野市議会としては出来るだけのことはさせて貰ったつもりです。
新人議員の呼びかけで個々まで出来る自治体はそんなに多くは無いでしょう。
私が今も熊野市と熊野市民を信じるベースの一つです。
これがお二人の慰霊碑です。
右下が旧42号線でおくが「木本隧道」です。
煉瓦造りの入り口がある綺麗な隧道です。
この隧道にはこうした歴史があるのです。
前回出席した時には、多くの車も来られていたので近所の方にお願いして了解頂いたりしましたが、やっぱりお参りしたのは私だけでした。
なぜ???
思い当たることもあります。
長くなるので、一旦ここまでにしますが、木本事件も、「みんなが仲良く」と言う私の立ち位置とは違う方向が絡んでいるようです。
私が甘いのかな?