LUZの熊野古道案内

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2017年 11月 14日

Da Nang 2

 ヴェトナム戦争…サイゴンが陥落したのが1975年4月です。
 40年年を越えるのですね。
 私が東京に居た頃は米軍の兵士がヴェトナムからの一事休暇で東京に来るので、随分荒れているのも見掛けました。
 無銭飲食するやつも居たし…
 遠くヴェトナムの戦争とは言えない部分もあったのです。
 「ベ平連」というのもありました。
 小田実・開高健などと言う名前はノンポリの私でも知っていました。
 でも、今の日本人には遠い話なのでしょう。
 「サイゴン」も「ホーチミン市」と呼ばれて居るし…
 でも、現地では中心部は「サイゴン」と呼ばれて居ましたね。
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 これはダナンの大聖堂でフランス統治下1923年に建てられたものです。
 この様に、ヴェトナムという国は至る所にふらんす統治下の香りが残されています。
 植民地時代を経験した国って、宗主国の影響も大きいし、以外と解放後も親密感を保っているところもあるようです。
 近代国家になる時に文化を持ち込んできたのがヴェトナムではフランスだったのですから…
 そして、軍部の思惑はどうあったにしても、仏印辺りを開放したのは「大東亜共栄圏」を旗印にした日本だったと言うことなのでしょう。
 ベトナム戦争当時は沖縄からB52が北爆に出撃したそうですが、ヴェトナムの人は親日的な人が多かったです。
 フランスとの独立戦争の時に残留旧日本兵がベトナム軍に沢山参加したことも親日感情にプラスの作用になったのでしょう。
 そして、「ドイモイ政策」の目標の一例に日本があったとかも言われますね。
 近年、日本企業が大挙してダナンを目指しているようですが、今の企業人のモラルからすると、日本というものに対する印象を悪くしないか心配します。
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 この様な活気に溢れた現地の人の生活を壊さなければ良いのですが…
 最近では熊野でもヴェトナムの人を見掛けます。
 ミカンの摘果・収穫にも雇用されているようです。
 他の地区の「農業研修生」のような扱いはして欲しくないです。
 人が足りなくなってきているのです。
 安く使えば良いという物では無いのです。
 他の国の人とも共存して行かないと日本国の将来は明るくなりません。
 私の介護をベトナムやインドネシアの娘がするかも知れませんよね。



by je2luz | 2017-11-14 04:25 | 旅 番外編 | Trackback | Comments(0)
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