LUZの熊野古道案内

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2017年 08月 09日

8月9日11時02分

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 8月6日の「広島原爆の日」は大々的に扱われる割に、抑え気味になるのが8月9日の「長崎原爆の日」です。
 日にちが近いのと二番目と言うことなのでしょうね。
 同じように原子爆弾と言われても、広島のは「ウラン235」の「ウラン型」であり。長崎のは「プルトニウム型」と別物です。
 破壊力は長崎のプルトニウム型の方が1.5倍大きいと言われていますね。
 今では原爆はプルトニウム型みたいですね。
 その、プルトニウムが日本にはどっさりあることになって居るようです。
 原発を動かしたウランを燃やすと副産品としてプルトニウムができちゃいますからね。
 このプルトニウムは原爆の材料なのでやたらと保有出来ないと言うことらしいですが、原子炉を動かせばできちゃうし・・・
 そんなものを輸出することもできませんしね。

 私が長崎に行ったのは高校の修学旅行の時です。
 その頃の木本高校の修学旅行は二年生の秋、東京行きでした。
 私などは、すぐに出て行く東京などへ修学旅行には行きたくないので九州を希望したのですが、学校側に拒否されました。
 二学年上の姉たちも九州を希望したけど駄目だったようです。
 私たちは、全校アンケートを取り、ほぼ半数の賛同を得ていたのですが、最初は拒否されたのですが。そのアンケートを元に・・・
 「九州へ行けないのなら修学旅行には行きません」と申込み、学校も半数の生徒が行かない修学旅行はあり得ないので、九州行きを認めたのですが、何しろ、半々なのですから、修学旅行を割ることになったのです。
 クラス単位で割るのでは無く、希望者で割るので、半数は担任が同行しない修学旅行になったのです。
 考えてみれば、学校側には結構きつい要求だったのですね。
 団体交渉だとかストライキなど無しで、要求を通したのが私の今の手法の原点ですね。

 九州に行くなら長崎を入れますし、長崎と言えば原爆記念公園をいれましから、昭和35年1960年に爆心地に立ちました。
 広島は大学2年の時・・・昭和38年1963年の夏訪れました。
 広島の方が資料の展示などその当時でもきちんとなされていて分かりよかったですね。
 色んな意味で広島が先行しちゃうようです。

 どちらの街の悲劇も「戦争」というものが引き起こしたものです。
 原爆以外にも私の親父のように戦死した兵士。空襲で亡くなった市民。沖縄戦のように巻き込まれた人。終戦後の引き上げ途中で命を落とした人・・・
 これは日本サイドですが、米軍・国府軍・八路軍・朝鮮半島・満州・フィリピン・インドネシア・仏印・ボルネオ・・・南洋諸島でも数知れない犠牲者が出ています。
 やっぱり戦争はいかんですね。

 色んな宗教ができ、偉大な聖人があがめられてもおさまらないのが人間の性なのでしょうか?
 果ては、救うはずの宗教が戦争の引き金になるのですから・・・



by je2luz | 2017-08-09 04:25 | 旅 番外編 | Trackback | Comments(0)
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