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LUZの熊野古道案内

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2006年 01月 10日

熊野の旅 松くい虫対策 続

 松くい虫の猛威について前回も書きましたが、この海岸線の暖かいところに松枯れが始まったのは半世紀も前です。
 最初は『おや?』と思うような程度でした。害虫が大量に侵入したわけではないですからね。それが、年を追うごとにひどくなり社会問題となるにいたりました。
 七里御浜はいうに及ばず全国で有名な松、庭木まで枯れ始めたからです。
 戦時中から戦後すぐの頃、生育が早くパルプ資源に使えるとかはやし立てて植林された松山も次々とやられ始めました。古来の松山で無かったところにも随分待つが植えられたことはあまり知られていません。あのまま育っていればパルプ材にならなくてもマツタケも庶民の口に入ったはずです。
 被害が顕著になった30年前には林野庁などが中心になって松くい虫対策が本格的に研究され始めました。
 この虫と線虫があるから松の類が全滅してしまうのではなくこれに耐性を持った松の類があるはずなのでそれと日本の松の交配種を作ろう・・・と言う研究も着手されたはずです。樹木の研究は野菜の研究のように一年二年で結果を確かめることは出来ません。成木になるまで数十年は掛かります。松くい虫被害が出るのも成木になった30年以上とかの物です。若木のうちは線虫に取り付かれて根をやられようが皮の間に入られようが成長がそれを上回って生きているのです。普通にすれば本当に効果があるかどうか確認するのに数十年掛かると言うことです。
 この研究がどうなったのかマスコミもはじめられるときは書きましたが継続されているのか銅かも報じていないようです。地味すぎる研究なので成果主義になれば打ち切られる類のものですね。
 この研究開始された時代にはまだバイオテクノロジーとか遺伝子操作などの無かった時代です。今なら様子も少し変わるかもしれませんね。
 日本の松が進化して松くい虫と共存できるようになるには気が遠くなるような時間が掛かるでしょう。それだけに、耐性を持った松を開発しないと日本の文化の一端を担ってきた松原・松山が消えてしまうでしょうね。
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カメラは エンサイン16-20・・1952年英国製

by je2luz | 2006-01-10 12:03 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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