LUZの熊野古道案内

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2017年 02月 13日

熊野の旅 こんな夢? 見せてくれたことも・・・

 田中角栄という総理大臣が「日本列島改造論」などと言うどでかい風呂敷を広げた時代がありましたね。
 それ以降の日本は、「開発」という言葉で夢を広げていました。
 そんものの一つに「コミューター空港」なんてのもありました。
 道路と飛行場が一体化したものとかまで・・・
 韓国では軍事目的で高速道路が滑走路に転用出来るとか何とか聞いたこともありますが、日本中に航空網を作ろうというものでした。
 その中のミニチュア版のコミューター空港がこの地区にも作る計画が浮上しましたね。
 何しろ平地が無く山も険しいところですから適地はそうありません。
 「紀宝町の山を削って作る」と言うのが出て居ました。
 「メガフロート」なんてのもありました。
 飛行機が無理なら「ヘリコプター定期便空港」なんて声までありました。
 30年ほど前ですね。
 
 紀伊半島は「白浜飛行場」以外に飛行場が無いんです。
 軍用の飛行場も作られなかったですからね。
 三重県側では「明野」が一番南でしょう。
 今の明野は「明野駐屯地」という形ですが、航空訓練用の飛行場として戦前からあったものです。
 新宮・熊野からは100Km程離れたものだけですから、飛行場を一つ・・・と言うことでした。
 この「コミュータ空港計画」は全国で一杯立てられたものです。
 「コミューター」とは座席数60以下の飛行機だそうです。
 中途半端なものなので普及しなかったようですね。
 そして、南紀のコミューター空港もまともに検討されないくらいで消えました。

 これが出来ていたら???
 多分、世界遺産が指定されても飛行機会社も赤字で路線を外しに掛かるし、空港の維持費が自治体を圧迫しているでしょうね。

 この計画の前には・・・
 「駅ー要害山」「要害山ー鬼ヶ城」「鬼ヶ城ー猪ノ鼻」「要害山ー華城」みたいなロープウェーが十数本作られるという熊野市の絵もありましたね。
 すごいですねえ!
 「紀勢線を近畿日本鉄道に買って貰おう」と言う案の方が現実味がありますね。

 戦前には「五新線・新宮ー五条」を筆頭に「木本ー池原」など紀伊山地に分け入る鉄道網が考えられていた時期もあるようです。
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 実施されたけどバラ色の部分を削り取って行われたのが「熊野川総合開発計画」ですね。
 「ダムの開発によって電力の確保と共にその流域を開発する・・・」はずだったのですが、実態は山間部の集落破戒・下流の水害助長と七里御浜の浸食など負の部分だけが目立つ結果になって居ます。

 リゾート法に乗っかった計画は別に書きます。
 


by je2luz | 2017-02-13 04:35 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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