私の手元には「奥熊野街道 金山の史話」という本があります。
著者の岡本実先生がふらりとやって来て・・・
「中田君、この本あげる!」と、置いて行かれたのです。
私が高校の頃、木本高校の美術の先生をされていたのですが、私は美術だとか書道を選択すると、作品を提出しないと単位が取れないし、音楽だと適当に唄っていれば単位が貰えるという理由で音楽を取ったので岡本先生には習っていませんでした。
先生は馬留で隣の町内だったので、大人になってからはよく顔を合わせては居たのですが、議員になってから、どう言う訳か私を気に入ってくれたようで、著書まで持って来てくれたのです。
700ページを越す分厚い本で、興味深い話が沢山載っていますが、郷土史では門外漢の私なので申し訳ないですが、全行は読んでいません。
金山には無線の後輩で長年親しくしてきている仲間も居るし、何となく縁のある町です。
この金山は、熊野市が誕生した時には合併には加わっていなく、神志山村の一部でした。
神志山村、市木尾呂志村、阿田和村が合併の時、金山と久生屋が分村して熊野市に入ってきたのです。
その時は「竹槍」を持って騒ぐほどの大騒動だったそうです。
その関係か、金山と久生屋は隣の御浜町との境がわかりにくいです。
この金山は山の中腹なので昔は田んぼも少なく生活も大変だったようです。
慶長年間の頃、金山は、27戸 180人だったそうです。
その時の木本は128戸 1753人 大又55戸 209人 だそうです。
400年経つと様子が変わり、「東南海地震」「南海トラフ地震」などがもうすぐ襲い、熊野市も海岸線が危ないと言われ出すと、金山に宅地が出来、新築の家が一杯建ってきました。
山裾の久生屋や山崎は最悪の場合は津波がやってくるかも知れませんが、金山が襲われるようだと日本が滅びると言うくらい安全なのです。
金山は古い村の形態を残している場所でもあります。
旧来の住民の方々が大切に守り嗣いできた行事が沢山あります。
昨日の「しめ掛け神事」「火伏神事」などもそうです。
正月には「お弓引き」があるようです。
産田さんなどでもある古来の行事ですね。
他では消えてしまったところが多い「庚申様」「山の神」も生きているようです。
「相撲取り踊り」なんてのも復活しましたね。
神社の行事も常駐の神主さんが居ないこともあり、地元の人達で執り行っているようです。
こうした「村の生活」「村の行事」を守って行って欲しいですね。
12号台風洪水ではこの神社の上で山崩れがありましたが、この金山神社の社叢がそれから下流への流下を防いでくれました。
「鎮守様」が集落と氏子を護ってくれたのでしょう。
と言うか・・・
昔の人はこうした要所に神を祀ったりしてきていますね。