LUZの熊野古道案内

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2016年 11月 26日

熊野の旅 井戸のお祭り

 熊野市ではまとまって人が住んでいる地域では一番かも知れない「井戸町」のお祭りは11月23日です。
 育生の「どぶろくまつり」とダブっているので、井戸の人はほとんどどぶろくまつりには来ませんね。
 こうした地域のまつりは住民=氏子になり、主催者サイドになるので、抜け出したりしにくいのです。
 仕方ない話です。
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 井戸町は海のそばの馬留・丸山から井戸川沿いに松原・赤坂・松田地・井土・松の木・紺屋地・岡地など沢山の地域に分かれています。
 一番最初に井戸が「市街化」したのは、紀伊木本駅(現熊野市駅)前の沼地を浜の砂利で埋めて「丸山町」を造成したことですね。
 ここが完成して家が建ち始めた頃に「伊勢湾台風」でずっぽり浸水したことがあります。
 その対策で「ボックスカルバート」が作られましたが、12号の時には伊勢湾ほどでは無くても冠水しました。
 昭和30年頃までは紀勢線の山側はほとんど田んぼで、山際に張り付くように集落があった物です。
 その田んぼは井戸川の河口が閉塞するので、台風や豪雨の時は井戸川の遊水池となりのべつ冠水していました。
 私が昭和51年かな?アマチュア無線を始めて7MHzで全国と交信し始めた頃・・・
 「熊野市駅の裏側に湖がありますね」なんてことを言う人も結構居たものです。
 井戸川の両側がそうした沼地のような田んぼだったのですが、財政破綻仕掛けた熊野市が木本中学校の敷地造成を井戸の裏山に行って、その土で埋め立てて「赤坂」を作り分譲しました。
 私が東京に居た頃に出来たのですが、取り立てて「何時までに家を建てる」なんて規制をしなかったのらしく、ずっと空き地で今も空き地だらけです。
 日本の土地神話の典型ですね。
 小金持ちの人が「投資」で買ったのが多かったのです。
 おかげで熊野市が助かったようですが・・・
 そして、反対側も埋められ、井戸小学校用地も作られました。
 平野の少ない熊野市で、完全な宅地として広大な?面積が確保されました。
 空き地が多いとは言え新しい家が建って行き、井戸が熊野市で一番若くて元気な町になったのです。
 最初に他所の人が住み始めて半世紀です。
 そして、その他所の人が井戸の人の主力になって居ます。
 
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 半世紀経って、他所の新興住宅地同様高齢化が始まっていますが、中心街と言うことでその後に開発された久生屋の分譲地よりは健全かも知れません。
 でも、急速に増えていった新しい住民と旧来の井戸の人が融和するには結構な苦労があったのでしょうね。
 この苦労は、今、金山でされているようです。

 井戸の場合、各地区の出し物は「子供神輿」のような物で子供主役ですね。
 そして、舞姫も沢山選んでいます。
 まだ、選べるだけ子供が居るし、子供を主役に据えれば親も爺婆も協力しますしね。

 私はこの祭に関しては、町外ですし、育生のとぶつかるのでその帰りに立ち寄るだけなので、町内巡行などは見たことありません。 



by je2luz | 2016-11-26 04:25 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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