LUZの熊野古道案内

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2016年 11月 06日

熊野の旅 祭 今昔

 飛鳥神社というのはあちこちにあります。
 字の違う「阿須賀」とか「明日香」なんてのもありますが、同じなんでしょうね。
 ここ熊野市でも、飛鳥村の飛鳥神社と五郷村の飛鳥神社があります。
 祭の日も同じです。
 この飛鳥の飛鳥神社のお祭りは、私が子供の頃は12月1日でした。
 秋の農作業が終わるのが遅かったですから、秋祭りも遅かったのでしょう。
 稲刈りが全部終わる頃は毎朝霜が降りる位でしたからね。
 私が子供の頃は今より季候も寒めでした。
 祭の明日は寒くて神社の周りではたき火があちこちで焚かれていましたし、吐く息が白かったこともあります。
 
 今でも飛鳥の各地区では、朝早く集まって、簡単な神事と宴会を行って居るようですが、私は近年、大又の集会に出席しています。
 朝、7時半過ぎから神事など始まります。
 前々日くらいには集まって餅をついたり準備に忙しいようです。
 今は仕出し屋さんの料理ですが、昔は全部手づくりだったのです。
 今と違い、嫁さん方も多かったですから人手はあったでしょう。
 でも、当日集まる人も多かったので大変だったでしょう。
 その「大変さ」が「祭らしさ」でもあったのでしょう。
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 各地区での出立ちの集まりの後、隊列を組んで小坂の「飛鳥神社」まで「伊勢音頭」など唄いながら歩いてきたのです。
 大又・小又・佐渡・野口・神山・・・
 神山からだと1時間ほど掛かったのでしょうね。
 私は小坂の子どもなのでそうした隊列がやってくるのを眺めていましたが、一杯気分で楽しそうにやってきました。
 野口の親戚のおじさんなどは音頭を取りながら上機嫌でしたね。

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 大又の場合、7時40分くらいに神事を始め、続けて「一杯」です。
 しかし、神社へ向かう男衆はほとんど飲みません。
 「飲んだら載るな!」と集会場にも張り出していますからね。
 9時過ぎからは「餅ほり」があります。
 祭につきものなのですが、この餅ほりで餅を拾うと、おばあさん方はもう神社には行きません。
 歩ける距離じゃ無し、車の送り迎えをする機動力も無し・・・
 段々こうなってしまい、神社に行くのは「当屋」の人、神社や区の役員さん、など限られた人になってしまいます。
 これはどの区でも同じなんでしょうね。
 過疎高齢化の進行以上に神社の人での減少は大きいような感じです。
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 私は今年も五郷に向かいましたが、着いたのが11時半になってしまい、もう、餅ほりが終わり、人が居なくなっていました。
 一昨年の写真のデータを見たら、11時に餅撒きを始めていました。
 この辺の行事には「餅ほり」はつきもので、それが最大で「締めの行事」なんです。
 出店も無く、昔のように飲み倒すでも無し・・・
 時間の潰しようも無いので終わりも早くなったのかも知れません。
 それでも、祭があるうちは良い方なのかも・・・
 これも限界集落の一現象なのでしょう。

 「限界集落」などと言う言葉がマスコミで良く流れた頃には、「祭が消滅した村」なんてのが良く流されましたが、最早、ニュースの価値もないのか出て来ませんね。



by je2luz | 2016-11-06 04:25 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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