LUZの熊野古道案内

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2016年 09月 26日

田舎 今・昔

 今は昔・・・
 竹取の翁ほどの年じゃ無い?
 ???
 あの時代だと私の年は「翁」を通り越して居るかも知れませんね。
 女性だと江戸時代には・・・
 数え20で年増、25で中年増、30で大年増 と呼んだのだそうですからね。
 中学や高校の女の子が20過ぎの女性を「おばさん」というのは、日本古来の正しい認識なの???
 今の世だと、30で年増というと機嫌を損ねるし、60でも大年増などと言えば二度と口をきいて貰えませんよね。
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 昨日は二箇所の運動会を覗いてきました。
 来賓で行くには苦手ですが、ぷらりと出掛けて写真を撮って帰ってくる分には良い物です。
 木本小学校の運動会は姉がここで居たので、65年ほど前には子供の頃に見に来ました。
 その頃は私の小坂小学校でも同級生が18人で今の木小と同じくらいあったのです。
 そして、木本小学校は1000人を超す大規模校でした。

 何ともすごい運動会で、場所取りは花火の比ではありませんでした。
 各学年の徒競走でも男女何組走ったのでしょう?
 町内対抗なんて、親地町などは一組では足りなかったですね。
 だから、朝早く開会して終わるのはとっぷり日が暮れてから・・・
 小坂の小学校などでは一般参加のプログラムが多かったのでやっぱり日が暮れるまで掛かりました。
 PTA、青年団、婦人会などどっさり押しかけてきましたからね。
 でも、「老人会」なんて団体は無かった様に思います。

 今と違い「青年団」という物が生きていたので、色んな所で活躍していました。
 こうした学校行事、道普請などの勤労奉仕、盆踊り、更には「地芝居」なんて素人の演劇などで田舎に娯楽を与えたり・・・
 それに、この青年団が事実上の婚活組織でしたね。
 若い衆が年中色んな行事で一緒なのですから、放って置いてもくっつきますからね。
 でも、私の頃には、2割が高校進学、残り8割は就職で名古屋や大阪へ・・・
 田舎で百姓になったり、山行きになる子供は居なくなり、青年団活動も下火になったようです。
 その時期ぐらいから、盆踊りも段々寂れ、集落の行事も変質し始めたように思います。
 私はその頃東京でうろついていました。
 帰ってきたことには「JC」や「青年会議」なんてハイカラなのが出来ていました。
 どれにも所属しませんでしたが、色んな男や女が混在する「青年団」とは別物みたいでした。
 演説の仕方を練習したりするそうでしたけどね。
 演説出来ても女の子一人くどけんのかい!

 それでも、そんな組織が成立するだけ若い衆がまだ居たんですね。
 今だと、熊野市生まれの子どもが全部残ってもせいぜい100人なんです。
 70年貯めても7000人でしょう?
 
 せせこましいところに住まなくても、熊野市は広いんです。
 9割が山でも残りの一割でも広すぎるくらいです。
 考え方を変えれば、素敵なことなんですよ。
 いつも言うように、そろそろ、「土地」=「財産」という概念を変えないといけません。
 祖先からの預かり物の土地をどう維持するか・・・
 大変な事ですよ。
 今でも家のすぐ裏に鹿や猪が出るのに・・・
 でるのでは無く「住みつく」と大変です。
 棲み分け出来る「都市計画」を立てなくてはいけません。

 トランプさんじゃ無いが、「シシとの境に万里の長城を作る!」ですが・・・
 シシに金を出させるのは不可能ですね。
 「肉で払って貰う」???
 今の法律ではシシ肉・鹿肉は簡単に売れません。
 熊野市の紀和町の食肉処理場を利用しても、あそこまで1時間以内に運ばないと駄目なんです。
 ドローンで運ぶには重すぎますね。



by je2luz | 2016-09-26 04:25 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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