LUZの熊野古道案内

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2016年 07月 02日

熊野の旅 農業と田舎の暮らし

 今日、7月2日夕方から、紀和丸山千枚田では「虫送り」があるようです。
 「あるようです」と書くのは、紀和の行事にはよく出掛ける私ですが、「虫送り」には行かないからです。
 「虫送り・虫追い」と言う行事は、日本中の田舎にあった農業の行事でした。
 紀和の千枚田ではこの時期ですが、昔はもう少し遅かったと思います。
 稲の作付けがうんと遅かったし、穂が出始めるのも当然遅かったですからです。
 この行事は、稲の害虫、「ウンカ」などが動き始める頃、夜、松明を焚きながら田の畦をめぐり、火に集まる虫を焼いて退治しようというものです。
 農薬の無い時代、せめてもの抵抗という感じですね。
 効果よりは祈りでしょうか?

 日本の田舎は「稲作」が主な産業でしたから、日常生活の中に農業に関係した行事が一杯入った生活をしていたようです。
 正月の門松飾りのようなものも田んぼ(門田)にも飾ったし、田植えが終わると「さなぶり」というのをやって田の神に豊作を祈りました。
 秋10月の「いのこ・猪の子」なんかも、豊作感謝の意味もあったのでしょう。
 大体、鎮守様の村祭りも秋の取り入れば終わって、労をねぎらい実りに感謝するものです。

 私が子供の頃・・・昭和20~30年代には、学校も百姓行事に振り回されていましたね。
 機械化になって居ない時代は子どもも大きな労働力でしたからね。
 小学生でも高学年になれば立派な働き手だったのです。
 今のテレビでアジアやアフリカの子どもが、水を運んだり、百姓手伝ったり、子守したりするのを見て珍しがりますが、その時代の日本では当たり前だったのです。
 戦争で疲弊し、敗戦でどん底に落ちた日本の生活は今の低開発国・後進国レベルだったのです。
 子どもだって4人も5人も・・・多ければ一ダースも・・・
 放課後の手伝いだけでは無く・・・
 「田植え休み」「さなぶりの運動会」「稲刈り休み」・・・
 授業が無くても「ゆとり」ではありません。
 「学校田」なんてのがある所も多かったのです。
 今のお遊びの体験学習では無く、まともに米を作ったり・・・

 百姓の子はこうして、中学を出る頃までには百姓仕事の入り口は学んだのですが・・・
 その頃から、中学を出た子どもの2割ほどが高校へ、残りのほとんど全部が都会などへ就職で出て行きました。
 「就職列車に 揺られて揺れて・・・」
 「国を出る時 持って来た 大きな夢を 盃に・・・」
 「かわいあの娘は おらを見捨てて 東京へ行っちゃった・・・」
 「包丁一本 さらしに巻いて・・・」
 こうして都会は発展し・・・
 百姓の子も百姓を忘れました。
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  昭和32年飛鳥中学校 OLYMPUS 35 S-C
 狭くて段々で効率の悪い農地・・・
 営業農家には向かないし。家庭菜園にしようとすると、年に1000頭獲っても減らない鹿に食い荒らされるし・・・この辺ではまだないですが山菜採りも命がけ・・・
 「ある日 森の中 熊さんに 出会った」・・・ 冗談じゃ無いです。
 日本オオカミが居なくなって100年を超えてきたようです。
 外来生物も害をバラ撒きだしたようです。
 生態系のバランスが完全に崩れたのでしょう。
 このままでは「共存」なんてきれい事を言えなくなりそうです。
 マタギ・猟師どころか遊猟者も居なくなりそうなんです。
 州兵・自衛隊では無いですが、ライフルを装備した「集落防衛隊」を常備して住民を守らなくてはならない事態になりそうです。
 トランプさんじゃ無いですが、「隣の県との境に電気柵を張り巡らせろ!」なんて勇ましいことになるのかも・・・
 月の輪熊の押しつけっこには限界がありますからね。

 
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by je2luz | 2016-07-02 04:24 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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