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LUZの熊野古道案内

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2016年 06月 01日

熊野の旅 公共建物の立地に少し疑問も・・・

 公共的な建物がほとんど無かった戦後すぐの時代から、営々として色んな物を建ててきました。
 戦後すぐの頃には「青年クラブ」なんて建物も建てられ、「青年団」の拠点になりました。
 村の金や村民の寄付などを原資に青年団の勤労奉仕などで建てたようです。
 私が子供の頃にはあちこちにあり、「地芝居」「どさ回りの芝居」「映画の出張上映」なども盛んにやって居ましたね。
 「青年団」は「出会いの場」でもあり、一杯カップルが出来た様です。
 田舎が賑やかだった頃で、昭和20年代から30年代中半までですね。
 30年代に入ると、若者が都会へ一気に流出し始めました。
 私が中学を卒業する頃には、飛鳥中学の同級生80名のうち高校に進んだ15名ほどを残しほぼ全員、名古屋や大阪方面に就職して出て行きました。
 「青年団」は機能しなくなり、「青年クラブ」も維持出来なくなりましたね。
 その頃から、「集会場」「公民館」「生活改善センター」など色んな名前の建物が集落ブロックごとに建てられました。
 色んな名前になっているのは、「補助制度」の違いなんですね。
 そして、管轄も「農政課」「教育委員会」何だかんだ違うんです。
 初期にはこうしたものを建てるには「地元負担金」があったのです。
 でも、それがあるから、地元はもの凄く熱心だったし、大事にしましたね。
 学校の校舎でも「地元負担金」無しでは建てて貰えませんでしたね。
 そして、敷地の整備や「地突き」も勤労奉仕でした。
 「地突き」って、丸山明宏(美輪明宏)の「よいとまけの歌」に出てくる、基礎を固める作業です。

 世の中が豊かになって来たことから、「地元負担」が消えて行き、「役所丸抱え」になって行きました。
 その頃からなのでしょうね、「建設。建築価格」が高騰したのは…
 民間の建物より坪単価が高くなってきたのです。
 建築業は入札で叩き合うので「安請け負い」が多いと言われてきたのですが、近年の単価を見ると。???と思うことがあります。」
 でも、「公平に入札した結果」らしいので・・・
熊野の旅 公共建物の立地に少し疑問も・・・_d0045383_214451.jpg

 12号関連水害の後では、こうした消防団の車庫や詰め所の新築移転が進んで居ます。
 熊野のように広くてバラバラ募集楽ばかりだと「消防団・水防団」に頼らなくては住民の安全は守れません。
 だから、良いことなのですが・・・
 
 去年見た視差との消防団、今年の飛鳥小坂の消防団・・・
 用地の位置は、「大水で本当に大丈夫?」と、私は感じました。
 両方とも、「12号の時には大丈夫でした」という答えなんですが・・・
 その程度の認識では怖いんですよね。
 そして・・・
 坪単価・・・
 息をのむような金額です。
 載せるのがためらわれます。
 決算ではネットでも載ると思います。
 こんな用途なのに「無節・むじ」の材木はふんだんに使われているのです。
 まあ、それを「小節」に落としてもそれだけではほんの少ししか下がらないのですが・・・
 「指名競争入札」が正常に行われているようです。
 この単価でも業者はそんなに儲からないとか・・・
 どうしてでしょうね???

 
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by je2luz | 2016-06-01 04:25 | 熊野


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