熊野(木本)から津・名古屋・東京方面・・・つまり、「上り」の方向への道は時代と共に色んな所に移りました。
私が生まれてからは、もう、今の熊野古道伊勢道は使われていませんでした。
集落間の連絡道としては生きていたようですけどね。
小さい頃は、国鉄バス(省営バス)・三重交通・トラックなど自動車は木本高校の手前から山に登る「評議道」で「評議峠・ひょうげとうげ」を越えて、飛鳥町小阪に入り、大又川沿いを遡り、矢ノ川峠808mを越え、念仏坂などを下って尾鷲に出ました。
それから先は「紀勢東線」が走っていましたからね。
小学校の一年か二年の頃に、新道ができ、木本隧道を大泊に抜け、そこから宮川沿いに登るようになりました。
この坂8Kmほどを「佐田坂」と呼びます。
頂上にトンネルが出来、「小阪隧道」と命名されました。
でもねえ・・・
この坂・・・トンネルを抜ければ、「飛鳥町小阪佐田地区」なんですが、坂のある所は大泊で「佐田」では無いんです。
どうして「佐田坂」になったのでしょう?
、
これが昭和25年頃に佐田坂と同時に供用開始した「小坂隧道」です。
この写真では明るく写していますが現地はかなり暗いです。
以前がゴミだらけだったのですが市の建設課が綺麗に片付けました。
このトンネルは昭和45年頃に佐田坂が改修され二車線化した時に二車線トンネル「小阪トンネル」に役割を譲ったのです。
今は完全に閉鎖していますが、以前はこの扉の向こう側は農協が夏みかんの保存に使っていました。
適度な湿気と温度が良かったのかと思います。
何時貸していつ返ってきたのか知りません。
それ以降はこの状態なのです。
サイクリングと遊歩道に開放出来ないかと言ったこともありますが、かなり濾水が激しいので、路面の改良や照明の費用が掛かると言うことで断られました。
もったいない気もするのですがねえ・・・
夏はもの凄く涼しいところですよ。
このトンネルの側溝部分に、飛鳥では見ない「手長エビ」が居たのですけどね。
今はどうなっているのでしょう?
子供の頃は車が少なかったのでこのトンネルをワアワア言いながら走って遊んだものです。
冬は小坂側の方は濾水がつららになっていて、一番のバスに当たるなんて聞きました。
木本のも「木本隧道」から「鬼ヶ城トンネル」へ・・・
ここも「小阪隧道」から「小阪トンネル」へ・・・
今は「隧道」がほとんど無いですね。
これが現在の国道42号線のトンネルです。
なんと、「佐田坂 トンネル」で検索したら、随分前の私のブログがヒットして、この写真が出て来ました。
だからリンクで貼り付けています。
そして、今は熊野尾鷲道路が開通し、大泊からは昔の伊勢道の下をトンネルでつなぐようにして、大吹トンネルなど5本のトンネルで抜けちゃいます。
かつて、矢ノ川峠越え2時間40分でバスが走っていたところを、30分で抜けます。
この、木本ー尾鷲、2時間40分・・・
今だと、木本ー名古屋なんです。
便利になりすぎて、「旅行気分」が消えちゃって、日帰りで遊びに来る人が増えちゃいました。
普通の旅館などなくなりましたね。
旅館業では食えない???
副業的なの「農家民宿」「民泊」なら生き甲斐対策でやって行けるかな?
時代の変化・・・道の変化・・・人の流れも変わります。
もっと変わったのは・・・
運び出す産品がなくなってきたことでしょう。
「材木」「石材」「魚」・・・減って居ますね。
田舎は今や巨大な消費地なんです。
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