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LUZの熊野古道案内

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2016年 04月 14日

熊野の旅 新道開削 評議道

 木本から尾鷲に向かう道・・・
 陸路は古いのでは「伊勢道」・・・今の熊野古道かな?
 次が「評議峠・ひょうげとうげ」を越えて飛鳥に入り、「矢ノ川峠・やのことうげ」をこえて行く矢ノ川越え
 昭和24年頃には大泊から「佐田坂」を登って飛鳥に入るルートになり国道らしくなりました。
 それでも、昭和44年頃までは矢ノ川越え808mを登ったのです。
 矢ノ川越えが無くなったのは、国道の大改修で二車線、舗装道路になる時です。
 そして、「矢ノ川トンネル」「大又トンネル」ルートになりました。
 昭和44年って1969年ですか?
 それから「熊野尾鷲道路」が出来るまで45年ほどはほとんど変わらなかったのですね。

 自動車が入って来て日本中に「新道」といわれる道路が作られていったのですが、それは大正から昭和へ掛けての「日本列島大改造」だったのです。
 そうして作られたのが「評議道」ですね。
 ブルだユンボだなんて無い時代に、こつこつと岩を割り、石垣を積んで山を越えていったのです。
 私が小学校に入る頃まで、この道をバスも走っていました。
 国鉄バスで、もう、鉄道省の時代では無かったのですが、「省営バス」と呼んでいましたね。
 田舎だからでは無いんです。
 私が東京に出た昭和36年頃には東京人も「山手線・やまのてせん」を「省線」と呼ぶ人が結構居ました。
 お年寄りが多かったですが…
 ついでに「東武東上線」なんて「おわい電車」なって言う始末です。
 あれだって、練馬・川越に下肥を運ぶのに引いたのだそうですから・・・

 話を戻して、「評議道」を今見ると、実に丁寧に作った道です。
 無理・無茶して開削しないで登って行きますから、崖崩れなど意外と少ないんです。
 コンクリートで固めていなくても石垣も耐えています。
 その代わり、絵に描いたようなヘアピンもあります。
 かつての「日光いろは坂」などでは「右側通行」の矢印表示があったような180℃回るものです。
 矢ノ川にも幾つかありましたが、評議道標高差400m登る間に二つか三つありますね。
 今は舗装されているし、対向車来ないし・・・楽しいカーブですよ。
 でも、山越えでも景色が良いわけでも無し…
 ハイキングもさほど楽しくないかな?
 上手く行けば、「鹿」には会えるかな?
 運が悪ければ「熊」にばったり・・・
 ここは「熊の市」ですから…
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 私が子供の頃には,歩いて木本まで映画を見に来ました。
 評議道はこうしたヘアピンなどでくねくねしていますから、道なりに歩くと多いので、カーブからカーブへ石段でショートカットする歩く街道がありました。
 子供なら駆け下りますから,木本って意外と近かったのです。
 でも、帰りは上り坂・・・
 トラックが来ると手を挙げて荷台に乗せて貰う・・・
 今だと、積載違反・定員過剰ですね。
 その頃のトラックには「便乗禁止」なんて書いてありました。
 つまり・・・
 それを書くほど、みんな、便乗していたわけです。
 学校の遠足までトラック止めて・・・
 東南アジアやチベットの光景は日本でも当たり前だったのです。
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 興味のある人は一見する価値あるかも・・・
 単車族なら、「熊野尾鷲道路」より「旧道・国道42号」そして「佐田坂」よりは「評議道」でしょう。
 ただし、落っこちても通りかかる人は居ませんよ。

 
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by je2luz | 2016-04-14 04:24 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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