LUZの熊野古道案内

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2016年 04月 04日

熊野の旅 徐福と神武

 秦の徐福というなかば伝説の中国人は秦の始皇帝によって「不老長寿の天台烏薬」とやらを探しに来たとこの辺では言われています。
 そして、波田須に上陸したのだと言われたり,ここで死んだのだとか新宮で死んだのだとか・・・
 もう一つ、同じ経路をたどったのが「神武天皇」ですね。
 時代が少々ずれるのですが、古事記とかはそもそも年代など超越しちゃっていますから、100年や200年の違いは取るに足りない誤差でしょう。
 私は全くの素人ですが、昔から、「一緒じゃ無いか」と思っていました。
 同じ様なこと考える人も結構居るようで、同一説を唱える学者?も居るようですね。
 ジンギスカンと義経が一緒と言うよりは信憑性があると思われます。
 今の時代だからこんな事言えるけど、大和朝廷の始まりと言われる「神武天皇」と渡来人「徐福」が同一だなんて、昔なら言えませんよね。

 なんでこれを今更書くのかって???
 「秦の徐福」を観光に利用しようというのなら、大河ドラマじゃ無いですが、全国の皆さんの興味を引くようなストーリーでも考えないと、足を向けさせるのは難しいでしょう。
 中国、江蘇省連雲港市の当たりの人を引っ張ってくるにしても、「あんたのご先祖さんがここに来たらしいですよ。」では万元戸の人が居ても・・・
 九州から始まって各地にある「徐福ゆかりの地」をめぐるのも大変ですからね。

 誰か「アニメ」でも書いてくれませんかね?
 「神武」「徐福」に「始皇帝」なら顔ぶれに不足は無いでしょう。
 まあ、ブームで動きよい女性には受けにくいかも知れませんけどね。
 あまりのも古すぎて、稗つき節とかのような波田須の乙女との恋話も残って居ませんしね。
 でも、アニメとなれば「波田須駅」にまで人が来ちゃう時代です。
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 にしても・・・
 波田須の地形では3000人もの部下を引き連れて上陸するのは難しいですね。
 でも、二木島には、「神武東征の軍勢を救った」という言い伝えはありますね。
 郷土史研究家さんとか、何かありませんかね?
 観光地の売り物なんて荒唐無稽なのも多いですから・・・

 「天台烏薬」とこの辺で呼ばれているものは徐福さんが探しに来た「不老長寿の妙薬」では無いですね。
 確か、お茶にして売り出した所もありましたね。
 私の所はすぐに諦めちゃいました。
 我が家の庭に植えたのは知らない間に消えちゃいました。
 飲まなくてもまだ生きています。
 中国の皇帝は「水銀」を不老長寿の薬なんて信じたそうですが、この辺では水銀も採れないし・・・
 紀和や那智の銅山なら可能性あるかな?

 
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by je2luz | 2016-04-04 04:25 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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