木本の街並みは間口が狭く奥行きが深い・・・
京都とか全国にある日本の古い街並みと同じ様なものです。
紀州藩の税制はどうだったのか分かりませんが、「間口税」なんて間口に税金掛けたり、「軒高税」で庇の高さで税金掛けたり・・・
ここでは「軒高」には掛けられなかったようで、奈良の一部のように入り口の軒に手が届くなんて家はありませんね。
でも、間口は狭いです。
屋敷の割り振りの間口が狭く、三間とかなので当然、隣との間に空間は作れません。
今の建築基準法では家が建たない・・・
家は隣とぴったりくっついて建てられています、
かと言って、「棟割り長屋」ではありません。
一応独立した家屋です。
人が入る隙間も無いのに独立した家を建てるのです。
まず、外壁は貼れませんね。
隣に家の無い時に建てた家には外壁はありますが、あとから建てた家には外壁は貼られていません。
今のように、古い家が取り壊されるようになると、結構大変なのですよ。
突然、お隣さんが、「家を取り壊します」と言い出すと、隣は大金を用意しないといけなくなるのです。
大体、古い方が壊しますから、残った建物には外壁場張られていない・・・
つまり、取り壊しが終わるとすぐに残った家が外壁工事しないといけなくなるのです。
本来貼るべき壁を張っていないのですから、隣に「貼れ」とも言えませんからね。
こんな風になるわけです。
壁を見れば隣の家の大きさもずっと後まで分かります。
こんな風に屋根が隣の壁に食い込んでいたのです。
そして、これが常識なのです。
この残った建物は新しい方のものですが、隣の屋根を躱して建てれば敷地の関係で建物が小さくなっちゃうので目一杯くっつけたのでしょう。
この辺は大工の腕の見せ所でしょう。
隣通しがよく似た建物だと、屋根の高さを少し変えてあとのものは上にかぶせますが、棟の位置や勾配は思うに任せません。
今書いたように、好きにしようと3尺も開ければ間口が足りなくて家になりませんしね。
この写真見て下さい。
どっちが古いか分かります。
棟木の書き込みなんか確認しなくても、右の方が新しいのです。
左には外壁がありますが、右には全く無く、土壁も内側から土を押し込んであるだけなんです。
こんな風に家と家の隙間を覗けばどっちが古いか分かるんです。
木本だけでは無く、「小京都」なんて言われるような街並みではこんな所もあります。
木本は昔から火事がありませんでした。
こんな街並みですから、火が出たら少なくとも一ブロック焼けちゃいますからね。
私の祖母などもの凄く火の元にはうるさかったです。
かまども風呂も薪でしたからね。
こんなくっついた建物でも、独立家屋だし、少しの空気層でも真ん中に挟んだ土壁、壁側には押し入れなどがあり、都会のアパートのように音が筒抜けなんて無かったですね。
落語のように壁に釘を打ったら隣の仏壇に先が出たなんてのもありません。
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