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2016年 02月 25日

熊野の旅 岩山・要害山ー万町・岩盤の町

 今、年度末の工期締め切り目前で急に急ぎだした道路掘削工事があります。
 前から時々取り上げて居る「電線地中化共同溝工事」の一部です。
 取り上げる度、書いていることに、この記念通り入り口に掛けての地盤があります。
 この辺りは、木本と井戸の町境です。
 昔で言えば紀州本藩と新宮藩の国境です。
 今の通称の町名は、木本町万町と井戸町万町らしいです。
 なぜ、「万町・よろずまち」と呼んでいるのか・・・
 これは下の写真の崖と関連があります。
d0045383_031174.jpg

 この切り立った岩肌は人工的な崖なのです。
 元は我が家のある海の側の新出町から始まり、JRの線路の山側の小高い岩の部分に連なる一つの岩山の尻尾の部分だったのです。
 岩山は「要害山」と呼ばれ、今は津波の避難場所になっていますが、私の子供の頃には「公園」と呼ばれていました。
 一番最初に手を加えられたのは線路と道を通すために低い部分を切り取りました。
 その前に「高城川」を通す工事も井戸の森本さんによって行われたようですが、どれも、恐ろしく硬い「石英粗面岩」とやらを掘り崩す難工事だったようです。
 最後にこの岩山に挑んだのが、熊野一・二を争うお金持ちの「万熊・よろくま」さんでした。
 「万熊」は屋号です。
 切り取るまでは駅と木本の繁華街「記念通り」を結ぶ部分が一応二車線でも、片側は線路、海側は十数メートルの切り立った岩の壁でした。
 「万熊」さんは、この山を切り取り、町を造成して、駅と記念通りをちゃんとした町で繋ごうとしたのです。
 尾鷲や新宮でも町中に道を新設しましたが、土砂と石の混じった山を崩したわけですし、ここは全部「岩」の岩山を取りに掛かったのです。
 今の時代の削岩機のビットでさえすぐにすり減って工事が進まないのですから、昭和40年頃ではもっと大変な工事になりました。
 切り取りが終わって一等地を分譲し、一角には百五銀行も入りましたが、膨大な工事費の元を取ることが出来なかったようです。
 それでも、これによって、駅の側と木本が普通の町でつながり一時期は繁栄を見ました。
 個人の方の力で大きく町を替えたので「万熊」の一字を取って「万町・よろずまち」となったのですが、今ではこの功績も口にする人が居ないようです。

 この万町・・・家を建てる時・・・下が岩・がんなので、基礎のレベルを揃えるのも削岩機が居るし、排水も浄化槽もまともに掘れないので苦労したのです。
 そのかわり、すぐそばの丸山町と違い地盤沈下など縁がありません。
 百五銀行があった当時、「あそこの金庫は地下からはどんなギャングでも襲えないね」などと冗談言ったものです。

 その恐ろしい岩盤を掘らなくてはならない工事・・・
 早くから、私を始め、木本の人などは解っていて注意もしたのに、まるで工事をしないで来たのは、どう見ても設計の甘さですよね。
 建設課の職員より木本の人が心配する・・・
 でも、耳は貸さない・・・
 今度の事件もよく似た構造・体質からでしょう。
 現場の根回しも同様です。
 全線に渡って役所の根回しなんて出来ていませんでしたからね。
 「ちゃんと説明会は開きました」・・・
 これが担当課の態度ですから・・・

 内規を見直すとか規則に格上げする・・・
 そんな時限じゃ無いのは市民や市内の業者が知っています。
 知らないのは内陣の人間と裸の王様くらいでしょう。
 にしても・・・
 誰も耳に入れないのでしょうかね?
 ブレーンとかご意見番とか話し相手も居ないのかなあ???
 淋しくないのかなあ・・・
 
    

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by je2luz | 2016-02-25 04:33 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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