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LUZの熊野古道案内

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2016年 02月 18日

熊野の旅 ムカデはもっと身近だった話

 「ムカデ・百足」は嫌われ者だと言いますが、今の若い人ってそんなに百足には遭遇しないのでは無いでしょうか?
 昔・・・
 昭和の中頃まで、この辺りでは結構ポピュラーな生き物でした。
 だからと言って、昔の人が「百足」を好きだったわけではありません。
 物語に出てくる時も、おばけ・妖怪の類いとなって出てくるくらい嫌なものだったようです。
 私が子供の頃に見掛けたのは、身の丈4寸とか5寸・・・
 だってその頃は尺貫法が生きていましたからね。
 赤黒く光って・・・

 こいつは毒を持っています。
 噛む力らももの凄く強いし、かまれると腫れ上がります。
 大体夜中に行動し。天井からぽたりと・・・
 身体の上を這う時、無意識に払うと「ガブリ」と・・・

 この辺りで百足はポピュラーだった理由は・・・
 杉皮文化があるでしょう。
 一般的には「桧肌葺き」と言われる、桧の皮を何重にも重ねて屋根材にする建築方式があります。
 今では、大きなお寺とかにしか見られませんね。
 この辺では、屋根を「杉皮」で葺いていました。
 長さ3尺、幅は広い方が良いのですが揃えられないので、合わせて2尺にし、それを6段重ねると面積が一坪になるので、針金で縛って「坪入り」として出荷されました。
 長さ6尺に剥いだものもありその方が高かったです。

 私が帰って来た当時・・・
 昭和40年代前半にはまだ杉林を伐採する時、「旬」が良いと杉皮と採取していましたね。
 手間は掛かるのですが、伐採人・先山の副収入でした。
 三尺ごとに小型の鎌でぐるりと切れ目を入れ、鉄製1尺5寸ほどの長さのヘラで剥ぐのです。
 樹液が出て居る時期だとばっさりと剥げますよ。
 私も剥ぐことは出来ますが、私などは売るための杉皮を剥ぐのでは無く、製材所でノコギリと製品を守るために剥いだのです。
 今は、「バーカー」なんて機械で剥いでますけどね。

 この「杉皮」を何層か重ねて屋根材にして、止めるのは足場丸太を並べ、河原から石を拾ってきて押さえていました。
 私が子供の頃でも「ダンナシ・旦那衆」の家は瓦葺きでしたが、元小作人や庶民の家は「杉皮葺き」が多かったです。
 何年に一回か葺き替えるのですが、お寺の「桧肌葺き」のようには技術も要らず、素人でもで来たのです。
 
 瓦葺きの家でも、瓦の下地に、隙間だらけに打った野地板の上に杉皮を並べ防水材とし、その上に藁を練り込んだ赤土を置き瓦が固着するとうに葺きあげていました。
 今は下地がアスファルトルーフィングとかの防水剤になり瓦桟と釘で固定なんて工法みたいですね。
 余談ですが・・・
 この旧来の屋根葺き工法は重い瓦に重い赤土・・・もの凄くヘッドヘビーな建物になります。
 本当の昔のいい家のように、5寸の柱に1尺を越す大黒柱・・・巨大な梁や桁・・・きちんとしたほぞ加工・・・なら耐えられますが、中途半端な35や33の柱の近代建築は地震の時に倒壊します。
 私が家を設計した時、まだ誰も「東海地震」を言わない昭和46年(1971)ですが、発売されたばかりのアルミ屋根材で瓦棒葺きに極端に軽量化しました。
 断絶はグラスウール・・・大きな屋根ですが2トンも無いでしょう。
 直下型地震ではこの家も住めないほどの損害が出るかも知れませんが、ペッチャンコにはなりません。

 本題に戻って・・・
 杉皮葺きでも瓦葺きでも「杉皮」が家に使われていました。
 この杉皮が湿ると「ムカデ君」は大喜びみたいです。
 更には、ガスになるまでは「薪・たきぎ・まき」でしたが、これ又杉や桧の皮付きの枝を保管していましたから、そっちでも「ムカデさん」を飼っているみたいでした。
 だから、昔の家にはムカデはつきものだったのです。
 そして、常備薬に・・・
 「ムカデの油漬け」があったのです。
 効いたのかどうか知りませんが、我が家にもありました。
 漬け込む「ムカデ」なんていくらでも居ましたからね。

 又々余談ですが・・・
 熊野無線クラブにはムカデの牙を爪切りで切り落とす豪傑が居ました。
 私は苦手なので、畑などで見掛けても鍬などで細切れになるまで殴り倒します。
 細切れにしてもそれぞれの足が動く・・・
 まさに妖怪です。
 妖怪で無いのは・・・
 バラバラのが合体復元しないところですね。
熊野の旅 ムカデはもっと身近だった話_d0045383_0544767.jpg

 昭和35年8月、矢ノ川峠の茶店です。
 標高808mの峠ですから、強風に耐えるため、皮など見えないほど、大きな石が並んで居ますね。
 でも「石葺き」ではありません。
 ここで、国鉄紀南線の国鉄バスが15分ほど休憩しました。
 年に何回か、この右手から後ろ方向に「富士山」が見えたのです。
熊野の旅 ムカデはもっと身近だった話_d0045383_0582069.jpg

 昭和34年 木本町新出町 こちらはまるで石が載っていません。川原石の無い木本だからかな?
 人物は「木本大工」の正当派、泉大工さんでしょう。
 今は駐車場になっています。

 以前に「熊野の家」を観光的に作るという話が出た時・・・
 「熊野らしい家は杉皮葺き、屋根に石を置いたものだ・・・  それが熊野の原風景だ」と主張したものです。
 現に、この辺では立派なお屋敷なんてほとんど無かったのです。
 都会の人が田舎に求めるもの・・・
 「日本の原風景」なんです。
 紀州には合掌造りも煙抜き付いたの三角藁葺き屋根も無いのですから、江戸時代の長屋のような家が「ここらしい家」なんですよね。
 住むのはかなわんですが・・・

    

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by je2luz | 2016-02-18 04:25 | 熊野


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