私は飛鳥町小阪育ちで、木本にも家があったので行ったり来たり、従兄弟達は木本だし、言葉が混じっています。
子供の頃から、順応性が高いというか・・・
大阪へ一週間行っていたら大阪弁になって笑われた子ですから、ごちゃごちゃになって当たり前でしょう。
どっぷり地の言葉を使っていないので、使わなかったのも多いです。
それに、木本と小阪どころか、同じ飛鳥でも大又と小阪と日進では結構違ったのですからね。
浜筋や有馬方面などは大人になってから聞いた言葉ですし、方言が減ってからですね。
私・・・わし・おれ・
私達・・・わしら・おれら・わがら
あなた・・・われ・あじ・あじぇ・うぬ・
あなたたち・・・われら・わっら・あじら・あじぇら・うぬら
かれ・・・あれ・てき
かれら・・・あれら・てきら・
かえる・・・びき トノサマガエル・・・とちゃまびき
おたまじゃくし・・・がえろご
へび・・・ぐちな・くちな
慣用語
やれ、つらいよー 話の相づち的に使いますが、そんなにつらいのではありません。
やれ、こわいよー もの凄く疲れたりしんどい時です。
やっとしょー… これも相づち的なもので、感嘆した様子です
おびえらわよー… びっくりして相づちを打つ時など
こんな風な会話はオバヤン(おばさん)などは普段やって居ましたね。
少しオーバーな表現になる分、賑やかでしたね。
昭和30年代はモンペに並手ぬぐいの姉さんかぶりがオバヤンの証でした。
その時代までのオバヤンは道端で立ちションしました。
具体的には書けませんが・・・
そして、タバコを吸う人が多かったですね。
オバヤンのタバコは「きざみ」で、オジヤンはキセルでしたがオバヤンは木の葉っぱで来るんで吸いました。
「かし」「椿」などですが、さすがに「こう花・しきび」は使っていませんでした。
葉っぱが熱で焦げるので匂いが出るし味も変わるのだそうです。
刻みタバコには「ききょう」「みのり」なんてありましたね。
木本では手近に葉っぱが無いので、祖母の姉妹など飛鳥から来ると。私が山まで採りに行きましたが、お駄賃貰えましたからね。
女の人も若い時・・・「嫁」と呼ばれる頃にはタバコは吸ってて居ませんでした。
タバコを吸えるようになるのは、家の実権を握ってからだったようです。
「よめ」から「おば」になってからですね。
そうそう・・・
その歳になると、女でも自分のことを「オレ」という風習がありました。
えらくなったのか。女を捨てたのか・・・
でも、その時代の女達はタバコに火を付けようとする亭主を「外で吸ってこい!」なんて寒空の下に追い出すなんてしなかったですよ。
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