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LUZの熊野古道案内

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2016年 02月 11日

熊野の旅 熊野灘

 今日は建国記念日・・・
 「紀元節」です。
 あとで、神武天皇も出て来ます。

 この目の前の海は、「熊野灘」です。
 「灘」とは波が荒く潮の流れの速いところ・・・海の難所です。
 漢字も「氵」に「難」ですからね。

 熊野灘、日向灘、鹿島灘、遠州灘、玄界灘・・・日本には数あります。
 それぞれに海難の歴史があるようです。
 熊野灘も海難の話は一杯あります。
 有名なのでは1890年(明治23年)、串本沖のトルコの巡洋艦「エルトゥールル号」の遭難でしょうね。
 500人を超える犠牲者が出て、串本の人達が必至に救助したことで、今でもトルコとの交流があるようです。
 
 近年では平成21年11月13日の「カーフェリーありあけ」の遭難横転でしょう。
 ここから10Km足らずの御浜町沖合で転覆仕掛けた船体を座礁させ、乗員は無事だったというものです。
 積み荷が崩れたとからしく、韓国の「セウォル号遭難」と同じ様な形ですが、結果は大きく異なったものです。
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 更に遡ると、ほとんどの人には知られていませんが、1968年の貨物船「第三千代川丸」座礁沈没なんてのがあります。
 「こんな貨物船なんか知らない!」と言われそうですが、この船では無くそのエンジンが歴史的なものなので、今は東京、夢の島公園に展示されています。
 このエンジンはビキニ環礁で被爆した「第五福竜丸」のものだったのです。
 第度福竜丸の船体は廃船にされましたが、エンジンが再利用されていたのです。
 しかし、又々、運悪く、阿田和沖で座礁沈没したのです。
 1996年に引き揚げられ、保存展示されていた「第五福竜丸」と一緒に夢の島で休んでいます。

 私も知らなかったのですが・・・
 紀南病院の周りをうろついていると、「雲揚艦遭難者慰霊碑」なんてのを見つけました。
 説明看板によると・・・
 明治9年(1877)に、当時の日本海軍には貴重だった「軍艦・雲揚艦」が阿田和の沖100mで遭難したのだそうです。
 幕末に長州藩がイギリスから購入しの血に明治政府に移管された木造汽船だそうです。
 この船、韓国の釜山を砲撃したりそっちの歴史には出てくるのだそうです。
 阿田和での遭難も「萩の乱」平定に行く途中だったのだとか・・・
 52名救出するも23名が犠牲になったそうです。
 紀南病院向かって左手にひっそり据えられています。
 
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 何だか、隠してある感じ・・・
 戦後すぐなら、進駐軍に遠慮したでしょうけどねえ・・・
 金の出所に問題があったのかな?

 古代になると、秦の徐福が遭難したとか、神武天皇東征の軍が二木島で遭難したとか・・・
 熊野市史にも外国の難破船を見に大勢押しかけたとか・・・
 やっぱり、熊野灘は「灘」なんですね。

 穏やかだと退屈なのか、居眠り運転で井田海岸に真っ直ぐ突っ込んできた貨物船もありましたしね。

    

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by je2luz | 2016-02-11 04:24 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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