LUZの熊野古道案内

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2016年 01月 31日

熊野の旅 昭和まで少し残って居た昔 1

 私は戦争の記憶は無いですが「戦時中」の生まれです。
 さすがに二歳半の終戦の玉音放送は記憶にありません。
 空をB29が飛んで、ワラビ採りで野山(のさん)に行っていたおばさん達が怖がったのは覚えています。
 でも、あれは戦後、進駐軍の飛行機だったはずです。
 矢ノ川越えでジープや十輪車が来ると子供達は見に走りましたが、あのコッペパンのような帽子をかぶった兵隊さんの記憶はありませんね。
 それに、ガムやチョコレートを貰った記憶も無いです。
 私の記憶に残るのは戦後しばらく、まだ物が少なかった頃から、物があふれてくるまでです。

 私が子供の頃の田舎には「給食」なんてありませんでした。
 「給食」どころか「幼稚園」もありませんでした。
 そんな時代ですから、子供達はなんとか遊びを考え出さないと時間が余ります。
 まだ、「ガキ大将」時代です。
 上は中学生から下はおしめをしたようなのまで、ゴチャゴチャと遊んでいたのです。
 その頃のガキ大将は、ジャイアンなのように小人数の同年代を押さえるのでは無く、赤ん坊まで従える代わりに責任も重かったのです。
 遊びの仕方、喧嘩の仕方を教え、全員が無事に家に帰るまで見張らなくては「ガキ大将」の資格は無かったのです。
 腰に刀に見立てた竹の棒を指し、手には槍代わりの長い竹の棒か細い指揮棒・・・
 学校までそのスタイルで通っていた時代です。

 私が中学に入る前くらいから、「クラブ活動」が盛んになり、中学生が「ガキ大将」の座に座らなくなりましたね。
 その辺りから、子供の世界がおかしくなりかけたように思います。
 子供の国、独立国が消えて、「親」なんて依怙贔屓するのが干渉始めましたからね。
 親なんて、「喧嘩の作法」なんて教えませんからね。
 それに、すぐに「いじめる!」なんて学校にチクルし・・・

 ずっと伝えられてきた、集落内の「危ない場所」「うるさい家」「甘柿の場所」・・・
 もっと大事なのは、「物を持って喧嘩しない」「人に向かって石は投げない」「足で蹴ってはいけない」・・・喧嘩のイロハ、命の危険が伝えられなくなったのです。
 低学年で物を持って喧嘩すると、勝つまでに「上級生」「ガキ大将」にこっぴどくやっつけられ、痛い目に遭うのでしなくなったのです。
 子供なんてまだまだ動物並み・・・いや、人類の凶暴さは動物以上ですから、身にしみるほど教えないと解らないのが居るのです。
 教科書で教えてみんなが解るなら世話無いです。
 生徒会長よりガキ大将の方が役に立っていた時代もあるのです。
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 ここまで社会が変わってしまうと元には戻せませんね。
 よそでは、「子供天国」なんてやって居ますが、元生徒会長と現生徒会長が仕切っているような感じで私などは違和感を感じます。
 「ガキ大将」「生徒会長」・・・両方やりましたが「ガキ大将」の方がしんどかったです。
 私の頃は「おしめしたガキ」までの面倒は見なくて良くなった時代ですけどね。
 子分のしたことでも「ガキ大将」が叱られたり、でも、子分はかばわなくては・・・
 代わりに自首させるなんて「ガキ大将」はしない物だったのです。
 だから、悪いやつに身をもってしつけてもあまり問題にならなかったのです。
 でも、そんな子供天国時代も昭和30年頃に衰退していったのでしょう。
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 戻せないけど・・・
 そんな世界が遅くまで残って居たのが「田舎」なんです。
 日本人のどこかに残って居る「原風景」なのかも知れません。
 今の若いタレントなども、知るはずの無い世界を「なつかしい」などと言いますからね。
 それも、田舎が生きるヒントになりませんか?

    

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by je2luz | 2016-01-31 04:25 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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