LUZの熊野古道案内

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2016年 01月 19日

熊野の旅 熊野市の名所・名勝 4 七里御浜

 七里御浜が全国に売り出されたのは、昭和11年(1936)にこの一帯が「吉野熊野国立公園」に指定された時でしょう、
 私が子供の頃の社会科の地図には鬼ヶ城などにはマークが入り、七里御浜松原にはピンク色の網掛けが入っていました。
 国立公園が粗製濫造になる前の物だったのです。
 もっともその頃には獅子岩以南は河口部分以外、切れ目無しで松原が鵜殿まで続いていたのです。
 その松原は戦後輸入されたパルプ用木材にくっついてきたと言われる「松食い虫」に枯らされて行きました。
 「松食い虫」はカミキリムシの小型のような虫とされていますが、実態はそいつが媒体となって広げる、松の根っこに寄生する「線虫」が悪いのだそうです。
 だから、一時やられた空中散布とかの殺虫剤もほとんど効かなかったのです。
 かくして、「白砂青松」と言われる、日本らしい松の防風林を供えたきれいな海岸線の景観が変わってしまいました。
 戻す試みは井田舞子から始まってあちこちでされましたが、昔の人には育てられた松林も「営林署」には育てることは出来ませんでした。
 何が近代林業なのでしょうね。
 そして、半世紀前から取り組まれたはずの「松食い虫に耐える松」も実用化されず・・・
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 そして、少なくとも私が学生の頃までは、砂利浜も二段三段に段を成し、浜の入り口からは波打ち際が見えなかったのです。
 砂利は波が仕分けするらしく、大きな石、中くらいの石。細かい石と帯状に別れて並んで居たものです。
 それが、ダムが出来て以来徐々に砂利は減るし、細かい石ばかりになり、段が無くなり、ずるずると波打ち際に下る浜になって来ていたのです。
 ダムとの因果関係は長年国は認めませんでした。
 建設省の終わりの頃に認めたわけじゃ無いけど「無縁じゃ無い」程度に認識は示しましたけどね。
 でも、ダムを撤去するなんてあり得ない国ですしね。

 この砂利浜に関して、木本海岸だけが近年完成した「潜堤」の二次的効果で昔の姿を少し取り戻してきました。
 明らかに太って、波打ち際も20メートルほど沖に出ましたし、砂利の量も増えて、いくつかの段が出来て来ています。
 この高波対策が丘からは見えない「潜堤」でやって貰えたので、景観も昔の通りです。
 よその海岸では毎面から出て居るテトラポッドが無粋な姿をさらしますし、陸の上の堤防際にもテトラの山が築かれて居ます。
 あれでは、自然なんて感じられませんね。

 こうして、木本海岸の景観が守られたのは、当時この海岸を所轄していた運輸省港湾部の若い技官が学生時代に熊野を訪れ、獅子岩のところで一日遊んで、こんなに良い浜が日本にも残って居るのだと覚えていてくれたからなのです。
 そして、私達が東京まで陳情に出掛けた時の大臣が三重県二区の田村元さんだったのも大きかったです。
 木本海岸と木本堤防に30年ほど心血を注いできましたが、こうした幸運が後押ししてくれたので、今があるのです。
 こうしたことを知る人も居なくなってしまいましたね。
d0045383_21281910.jpg

 今は大きな石も少し見られるようになって居ます。
 でも、戻ったのが最下流の木本海岸なのです。
 紀宝町の井田海岸から羽市木まで潜堤を作ると、2000億円程かな?
 やって貰えそうに無いですね。

 阿田和のCCZの人口リーフはさばけちゃったのかな?
 浜が痩せ始めましたね。
 よそ事とは思えないのですが・・・

 この「七里御浜」・・・
 足場は良いのですが、ポイントが無い!
 獅子岩ー羽市木ー花の窟神社付近がきれいなのですが・・・
 そして、立石から志原尻までの防風林の中には遊歩道もあるし・・・
 歩けば良いところ・・・
 かと言って、宣伝文句も中々思いつかないし・・・

    

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by je2luz | 2016-01-19 04:24 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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