LUZの熊野古道案内

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2016年 01月 13日

熊野の旅 日本国と神社 1

 昨日の続きみたいな話ですが・・・
 日本は地形が複雑な分、昔は「村」が多かったのです。
 今の熊野市になる前、町村は8つ半。でも、明治になる前となると、飛鳥でも大又・小阪・神山などは別の村だったようです。
 そして、そうして村々には少なくとも一社の「鎮守様」があったようです。
 それに、多神教、八百万も神のおわしまします日本ですから、稲荷さん、庚申様、水神様、天神様、弁天様、山の神、道祖神・・・何でもありてす。
 北海道を除けば、神社だらけ祠だらけだったでしょう。
 それぞれに謂われが有り、伝説が有り、土着の行事があったと思います。
 北海道だって開拓団が元も村の神社を連れて行ったし・・・
 果ては、台湾、朝鮮半島、満州、南方の島々まで・・・
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 古事記、日本書紀から風土記類・・・
 紙に書かれた故事来歴のある物でも随分在るようですね。
 そして、同じ伝説や謂われがあちこちに・・・
 「邪馬台国」やヤマト王朝の祖が天下った「高天原」でも確定出来ていませんしね。

 「歴史は施政者が都合の良いように作るもの」と言われますが、叱られるかも知れませんが、その筋の方がおっしゃる、「歴史」「神話」なんて滑稽無体なのもありますね。
 なぜこんな事言うかと言えば、そうした話はその地方では大事な事なのです。
 でも、よそから見れば・・・まして、ライバルから見れば・・・

 明治時代に入り、新政府は日本国を「神国」にする方が都合が良かったらしく、「廃仏毀釈」と言われる運動を起こしお寺を破壊し、神社もあまりにも雑多で多すぎたからでしょう、「一村一社」などと言う方針の「神社統合令」まで出したようです。
 「神々の郷」、熊野の地・牟呂の地・熊野の地の田辺からこの辺に掛けては2000社もあったものを随分統合させたようです。
 内緒で統合しないで祀ったところもあるようですけど・・・
 数百年も千年も続いていた神社もぶっつぶせる程度の物だったのでしょう。
 いや、ぶっつぶしたのでは無く「お移り頂いた」「お集まり頂いた」のですよね。

 歴史を覚めた目で見るとこうなるのです。
 普通の人は思ってもあまり表には出しませんけどね。

 政府が大事だと認めたものが「官幣大社」なんて大層なお墨付きを貰ったのです。
 古くは「律令時代」かららしいです。
 ややこしい制度らしいですが全国に散らばっているようです。
 明治以降は国からお金も出るし、金看板で参拝者は多いし大層なところが多かったようです。
 戦後はそのご威光も色あせていますけど、社は概ね立派です。

 それに引き替え、熊野市の「産田神社」「花の窟神社」「大馬神社」は原始宗教の色が濃く、今流に言えば「パワースポット」なのでしょうが、「観光客が見るもの」は少ないですね。
 新宮の「神倉さん」も同様ですね。
 霊感が少しでもある人なら、どこが良いか感じるでしょうけどね。
 でも、そんな人は何パーセント居るやら・・・

長くなるので・・・
 「今日の続きはまた明日・・・」
 前武・巨泉 なんて、解る人はもう居ないかな?

    

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by je2luz | 2016-01-13 04:13 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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