LUZの熊野古道案内

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2015年 11月 28日

熊野の旅 清流大又川 丸木橋があった頃

 大又川には、昔、丸木橋が沢山ありました。
 丸太をそのまま使ったのや、ほんの少しだけ鋸を入れて太鼓状にしたのを二本ほど合わせてあり、それを石から石へを渡して橋に使っていました。
 大又川は急流だし、そこそこ川幅もあるので簡単には橋が架けられなかったのです。
 大又でも古い橋は二本ほど、小阪では飛鳥神社の所にはコンクリートの立派な橋がありましたが、あとは、学校の所の吊り出しだけでした。
 佐渡も自転車屋の所の木造の橋、下でも宮の平の橋、農業用水を兼ねた水道橋くらいでしたね。
 こんなに少ない橋では生活に不便なので、あちこちに、丸木橋を架けていました。
 小阪だと「はせど」「更田下」「九升まい」「蔵本」「西の平」くらいにはありました。
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 この写真の真ん中で大又川を横切っているのが当時の「九升マイ」の丸木橋です。
 相ヶ谷と平を結ぶ物です。
 真ん中に支えがないので良くたわみました。
 少し上流に吊り橋があり自転車でも渡れるのですが、歩くにはこっちの方が近い人も居たのです。
 私はほとんどこれを渡らずに吊り橋でした。
 それ位なのでこの丸木橋は早く無くなりました。

 この手の橋は水が出れば当然流されます。
 だから、ワイヤーで岸のどこかに繋いであったのです。
 それでも大洪水だと流されてしまい、水が引き始める頃には集落の力持ち達が「鳶口」とロープを持って、下流へ探しに行くのです、
 近ければ次の大カーブに引っかかりますが、運が悪いと何キロも下流へ・・・
 水が残って居る時は流れに逆らって引っ張ってきます。
 水が完全に引くと担いだりひっぱたりしながら帰ったのです。
 水を吸った丸太はもの凄く重いですし、ゴロだらけの大又川を担いでくるのはちょっと想像出来ない力仕事だったのでしょうね。
 私は子供だったので引っ張ったことも担いだこともありません。
 そんな力仕事に支えられて、こうした生活のための丸木橋は維持されてきたのです。
 逆に言えば、それを支える若い衆が居たのです。

 まともな橋が欲しいというのが大又川沿いの人達の大きな望みだったのです。
 昭和30年代の終わり頃から、一本、又一本と橋が架けられ、丸木橋は役目を終えたのです。

 写真の背景に在る学校は飛鳥中学校でまだ木造ですが、体育館は昭和33年に完成した超近代的な鉄骨アーチの物で今も残って居ます。
 下の段の校舎左端が音楽室、上の段の左端は理科室でした。
 体育館は熊野市で一番先に良いのを作って貰ったのですが、今では・・・

 向こうの方の山の上に見えるのは「小阪青年クラブ」です。
 「更田の坂」の上にあり、映画やどさ回りの芝居、地芝居などをやって賑わった物です。
 青年団華やかなりしころですね。
 この青年団も私は子供だったし、青年になる頃には東京に出ちゃったし、帰ってきた頃には「青年団」も活動が下火でしたから経験はありません。
 集まるのが好きじゃないし、あっても入らなかったでしょうね。
 帰ってきた頃は「JC」とか「青年会議」なんてのが活動していましたが入りませんでしたからね。
 青年クラブにつながる小さな屋根は新しい職員住宅ですね。

 考えてみると、「団体・クラブ」に所属したのは「中学・高校バスケット部」「大学の写真部WPS」と「熊野無線クラブJH2YIV」だけですね。
 やっぱり、引っ込み思案で内気なのでしょう。

 この頃の大又川はそろそろ農薬の害が出始める頃です。
 清流のままで魚がおかしく成り始めたのです。
 DDT(dichloro-diphenyl-trichloroethane)、ボルドー液(主成分硫酸銅)などと言う分解されない物がどんどん農地に撒かれだしたのです。
 そして昭和40年頃にはハードタイプの中性洗剤も・・・
 何時も言うように今の中国を笑えない日本になった頃です。
 今は大又川に背骨の曲がった魚は居ないようですが、一時期はかなり居ましたからね。
 イナゴが田から消え、蛍も消え、泥鰌も田んぼから消えた時代が近づいたのです。
 そして、食品ではまだ「サッカリン」なんてのがまかり通り、「赤色〇〇号」なんて食紅も・・・
 その代わり、冷蔵庫がなくても物が腐らなくなった時代です。
 でも、後に「発がん性あり」なんて言われたDDTを頭から浴びせられ、サッカリンや食紅が入った食品を食べ、畳の下にもDDTを一杯撒いて・・・なんて育ち方をした今のおばあさんやおじいさんって丈夫ですよ。
 世界一長寿なんですからね。
 毒に耐性が出来たわけじゃ無いでしょうけどね。
 
 そうそう・・・
 その頃はお腹に「回虫」が居て当たり前だったのです。
 「海人草」なんて海藻を煎じた虫下しを学校で飲まされたくらいです。
 お腹から「回虫」が消えて、アレルギーが増え、免疫も落ちたのだそうです。
 私達世代が丈夫で長生きなのは、きっと「回虫」のおかげなのでしょう。
 「共生」する事が身についています。

   

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by je2luz | 2015-11-28 04:29 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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