木本が元気だったのは駅が「紀伊木本」だった頃でしょうかね。
その頃は「日本国有鉄道」でした。
汽車は「紀勢西線」・・・尾鷲からは「紀勢東線」・・・連絡バスは「国鉄紀南線」
他に私鉄の「三重交通バス」・・・奈良県方面へは「奈良交通」・・・一部の新宮行きは「熊野交通」も・・・
タクシーは「木本タクシー」と「双葉タクシー」
木本ー新宮筦のバスは一番多い時には15分に一本走っていました。
国鉄関係の切符は木本駅で売っていましたし、三重交通などは駅前の今はしまっているコンビニの辺りにあった切符売り場で売っていましたね。
走っていたバスは国鉄はボンネットバスで三重交通は割合と早く箱形になりました。
でも、戦後すぐの頃は国鉄紀南線矢ノ川峠越えは日本で長野とここだけに導入したジーゼルバスで馬力があるのに、三重交通は「木炭車」がありました。
小阪に駐在所の所の「ヘリ道」の坂が登れなくて、バックして惰性を付けて登ったり、客を降ろして押して貰ったりして居ました。
その後で流行った、「田舎のバスは おんぼろ車・・・」なんて歌みたいだったものです。
そんな時代のバスは匂いもひどいし、道もひどいからバスに酔う人も多かったのです。
それでも、近在の人は「木本へ行く」のがもの凄く楽しみだったのです。
子供達は木本まで映画を見に行く時は行く時は評議を越えて歩きましたね。
蔵名天狗などが出てくると拍手が一杯わき起こった時代です。
駅前の食堂でうどんやチキンライスを食べるなんてもの凄い贅沢だったのです。
でも、そんな時代の木本は商売も盛んで儲かったらしいです。
記念通りの入り口・・・今のセブンストアの所が国鉄バスの車庫でした。
覚えている人もほとんど無くなったのでしょうね。
尾鷲との境の分水嶺「矢ノ川峠・808m」には茶店がありました。
国鉄バスは木本ー尾鷲42Kmを2時間40分も掛かったので、矢ノ川峠で10あまり休憩しました。
あの峠は年に数回だけですが「富士山」が見えます。
私はバスで肥える頃には見ませんでしたが、無線で登るようになって一回だけ見ました。
今でも富士山を見るために遠くから来るマニアが居るようです。
今はこうした交通機関がどんどん廃止され、県と熊野市のような自治体が補助金を出してなんとか走らせてもらって居る状態です。
乗り合いタクシーもまだまだカバー範囲は少ないです。
その為か、熊野市はタクシーが多いです。
人口からも列車の数からしても多いですね。
写真は駅に出ている今のタクシー料金概算です。
鬼ヶ城ー1100円 瀞流荘・北山筏乗り場 8300円
311号、169号も良くなったのですから、行き先や料金も書き直した方が良いかも知れません。
こうしたものも観光宣伝の一部ですからね。
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